延命寺で出会う、歴史の深いご縁。
延命寺の特徴
逗子駅から徒歩圏内で、静かに佇む大きな仏教寺院です。
行基菩薩が開基した、由緒正しい真言宗の名刹です。
三浦道香の墓が残る歴史的なスポットとしても有名です。
三浦地蔵尊二十四番札所。東逗子駅に戻り、逗子駅へ。徒歩で、途中「逗子・葉山駅」を通り過ぎ京急の踏切を渡ると左側すぐです。お地蔵様は、本堂内おりました。拝観出来るように、御本尊様より手前に移していただいたようで、お寺によって対応に違いがありますね。御朱印を頂く為、寺務所に行きますと「本堂へどうぞ」と促していただいたので、玄関から本堂内に上がりお詣りさせて頂きました。
奈良時代、行基菩薩が開基し御自作の延命地蔵菩薩像を安置し本尊とされたのが由来。弘法大師が立ち寄り地蔵尊を安置する厨子を設けられて以来、周辺一帯を厨子と呼び逗子の地名起源になった。今回は湘南七福神巡りで参拝しました。境内の厨子弁財天様で御真言を唱えながら参拝しますと力強さを感じました。😲寺務所で本堂への参拝許可を頂きまして本堂内へ本尊様と両脇の仏様、通路の大黒天様は力強さを感じました。😲御住職さんから延命寺さんのアイドル「いろはちゃん」を紹介されました。😍いろはちゃん目当ての参拝者も多いとか…😏親切な対応で気持ち良く参拝出来ました。🙏☺️🔸御朱印あり。
行基大僧正により開かれ、後に弘法大師の霊場に成り現在は真言宗の名刹。平安時代に至り三浦郡の大介(おおすけ:知事)を桓武平氏三浦家が務める様に成ると以後、平安末~鎌倉~室町時代の三浦家滅亡まで相模国の大名三浦家の祈願所の寺院として崇敬され繁栄した。境内には三浦家最後の大名三浦道寸公の実弟の三浦道香公の墓所も有り誰でも参拝出来る。三浦道香公は鎌倉市光明寺裏山~逗子市小坪に跨がる住吉城の城主だった。御寺の近くには鎌倉時代の武将、三浦義胤の墓所も在る。
京浜急行の逗子・葉山駅南口から仲町橋経由でJR逗子駅に向かう途中、威厳のある仏教寺院に出会うことができます。
天平年間に行基によって開山された。行基が自ら彫った延命地蔵を安置するための寺として創建され、さらに、平安時代に弘法大師空海が延命寺を訪れ、その延命地蔵を収納するために設けた厨子が「逗子」という地名の由来になったといわれているお寺です。鎌倉時代には、三浦大介義明公により三浦氏の祈願寺となり、宝治合戦で北条氏に本家が滅ぼされた後も傍流の三浦氏が祈願寺として引き継いでおりました。しかしながら、。1513年(永正10年)、伊勢新九郎が率いる後北条氏の侵攻を受け、当時の三浦道香とその主従は延命寺で自害しています。三浦道香主従のお墓は今でも延命寺でお参りできます。三浦氏滅亡後は、引き続き後北条氏の祈願寺になり、また、徳川家康公にも御朱印五石を下附される等、今もなお逗子の古刹として伝わっております。また、延命寺の近く京急逗子線に沿って流れる田越川は、古くは手越、多古江ともいい、御最後川とも呼ばれたそうです。鎌倉の頃は、鎌倉の南方の処刑場としても役割もあり、斬首された首を流した川でもあることから名付けられた名が御最後川と謂れ、また、その慰霊をつかさどったのが延命寺とも言われているそうです。実際に、近くには三浦胤義の4名の遺児が処刑された「三浦胤義遺孤碑」があり、少し離れた田越橋を越えた辺りに20台で処刑された平六代公の墓もあります。静かな境内ですが、人の生き死にに思いを募らせてしまうお寺でもあります。
弘法大師が開いたとされています。逗子の地名の元となったとも。境内に弁財天が祀られています。
逗子駅を散策していてたまたま入りました。御朱印はいくつか種類があります。アマビエさんの絵柄入りの御朱印袋でもらえてご利益ありそうです。
入口に逗子の地名発祥の地の碑があります。
御住職のご丁寧な対応に感謝致します、もちろん 御朱印も頂きました、ありがとうございました。
名前 |
延命寺 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
046-873-9322 |
住所 |
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HP | |
評価 |
4.3 |
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逗子の街に佇む大きなお寺様です。参拝がお昼時になってしまいましたが、大変丁寧な対応をいただき御朱印をいただくことができました。