中野朝日が丘公園で象と歴史を感じる。
象小屋跡の特徴
昔の人々が象と接した思いを知れる場所です。
江戸時代の象飼育小屋跡に立つ案内板があります。
中野朝日が丘公園の入り口に立て札が設置されています。
案内板があるだけですが、よく読むと昔の人がどういう思いで象に接したのか、その一端がわかると思います。
江戸時代当時としては珍しい象を飼育していた小屋があった場所地🐘今は普通の公園で立て札が立っているだけ🙍♂️🙍♂️
中野朝日が丘公園の入り口付近に案内板が設置されています。この付近に象小屋があったとのことで正確にこの場所かどうかはよく分かりません。象小屋の痕跡もまったく消滅しています。歴史上、この地に象が飼われていたという事実を偲ぶにはいい場所ですが、何かを見たいという方には向きません。
説明板があり、下のように書かれてました。 江戸名所図会に「中野に象厩(きさや)を立ててそれを飼わせられし」と書かれている中野の象小屋は、このあたりにあったといわれています。 当時、象は、まだ珍しい動物で、人々の好奇心をそそり、「象志」「馴象論」「馴象俗談」などの書物が出版され、また、象にちなんだ調度品、双六(すごろく)や玩具類もさかんに作られました。 中野に来た象は、享保十三年(1728)中国人貿易商鄭大威(ていたいい)が将軍吉宗に献上するため、ベトナムからつれて来たもので、途中、京都で中御門天皇と霊元法王の謁見を受け、江戸に着いて将軍吉宗が上覧したあと、しばらく浜御殿に飼われていました。のち中野村の源助にさげわたされ、源助は、成願寺に近いこのあたりに象小屋を建てて飼育を続けましたが寛保二年(1742)に病死しました。死後、皮は幕府に献上され牙一対(きば いっつい)は源助に与えられました。この牙は、宝仙寺(現 中央二丁目)に保存され、戦災にあいましたが、その一部がいまも残っています。
江戸時代にここで飼われていたゾウは近くの宝仙寺で供養されています。
江戸時代に将軍吉宗に献上された後、下げ渡されたゾウがここで飼われていました。が、今はその痕跡もありません。
説明板があるだけで象小屋の痕跡は何もない。
名前 |
象小屋跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP | |
評価 |
3.4 |
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江戸時代に、像がカッポして来たとは、教科書かな聞いたことが有ったけど、その像の小屋が有った所らしい!いまは、ひっそりと公園の片隅に、中野区認定観光資源として、表示板が有るだけですが…。