長谷寺近くの花に囲まれた静寂。
光則寺の特徴
宿屋左衛門入道光則の屋敷跡に建立された日蓮宗の寺院です。
料金箱に100円を納めれば拝観でき、静かな雰囲気が漂います。
鎌倉の隣にあり、四季折々の美しい花々が楽しめることが特徴です。
山紫陽花の収集そして大切に育てられています。5月24日(金)午前中訪問させていただきました。3時間程滞在しました。昨年は、時期が合わず剪定後の訪問になってしまいました。ご主人?にお声をおかけしましたが、迷惑そうでしたので、ひと声“昨年も訪問しました”だけで、続ける事はありませんでした。それから、3時間、たくさんたくさんたくさんの山紫陽花に、出会いました。ありがとうございました。幸せな時間でした。※5つ🌟星は、山紫陽花愛好家には、誰もが評価しますよね。山紫陽花の写真は、ほんの一部だよ。
無人の料金箱に拝観料100円を納めると入れる。光則寺(こうそくじ)は、鎌倉時代に創建された日蓮宗のお寺で、元は宿谷光則(みつのり)という鎌倉幕府御家人の屋敷だった。裏山には古い土牢があるので必見。日蓮が幕府の政策を非難して佐渡に流罪となった際、弟子の日朗がここに閉じ込められた。監視役の光則は、弟子を思う日蓮の師弟関係の尊さと法華経の功徳に心を打たれ、後に邸宅を寄進した。山門を入ると独特の字で書かれた石碑がある。庭の植物は隆々と茂り、まるでジャングルのよう。数本の花海棠(はなかいどう)があり、4月上旬に濃いピンクの花が咲く。特に本堂前の樹齢200年のものは見事とのことなので、次回見たい。
2024年4月7日午後、参拝長谷寺の近くにあるお寺、花のお寺で有名でお寺の門にある賽銭箱に100円を入れて入る仕組み当日の境内は本堂前の海棠の大きな木がほぼ満開で綺麗やったなあミツマタやヤマブキ、ムラサキハナナなどもキレイでウグイスの鳴き声もよく聞こえやしたよまた山門前の参道の桜も満開で撮影する人が何人もおりやした🌸山門の賽銭箱の横に掲げられた境内にある花の地図はとても細かく、さすが花の寺やなあ!と感じさせやす日朗上人の土牢もあり歴史を感じさせるさあ。
日蓮宗の寺院。山号行時山。旧本山比企谷妙本寺。日蓮聖人の佐渡配流に際して、鎌倉幕府第5代執権北条時頼は、弟子の日朗も捕え、時頼の家臣で寺社奉行の宿屋光則邸の土牢に日朗上人を監禁しました。後に光則は日蓮聖人と日朗上人を私淑するようになります(※私淑…ししゅく 尊敬する人に直接教えを受けられないが、その人物を模範として慕い学ぶこと。)。文永11年(1274年)に光則の邸宅を寺院にして、尊敬する日朗上人を開山に迎え、光則の父の名を行時をとり、寺名には自身の光則を寺号に行時山光則寺とした。アクセス江ノ島電鉄、長谷駅より徒歩5分です。
【光則寺】で観光しました。入口近くにある大もみじが真っ赤で目をひきました。ツワブキが咲いていたり、マンリョウの赤い実がなってました。みかんもなってました。梅や大きな海棠の木があって春から初夏はさぞきれいだろうと思います。奥の階段上ったところに土牢がありました😲
紫陽花の綺麗な時期に訪問しました。目的が紫陽花であったので、良く調べもせずに行ってしまい、実はとても由緒あるお寺だと知って驚きました(^^)
静かな寺院です。拝観料は100円です。みたところ両替機もないので、百円玉を忘れずに持っていった方が良いです。日本原種の紫陽花など、色々な花が見れます。寺院の人の他に、手入れを手伝っている人達がいて、丁寧に花を育てています。鉢に何の花か書いてくれているのも嬉しいです。
鎌倉有数の花寺で四季折々の花を愛でることが出来ます。あじさいで有名な長谷寺から徒歩10分圏内にあります。山号を行時山と言い、このお寺の開基となった北条時頼の家臣宿谷光則から寺号を父の名前から山号をとっています。開山は、日蓮上人の弟子の日朗上人です。元々は、立正安国論等で日蓮上人が佐渡に流罪になった際に、弟子の日朗上人も宿谷光則に捉えられました。しかし、宿谷光則は、やがて日蓮宗に帰依し、日朗上人に依頼し、自らの館の地に光則寺を建立しました。境内には、日蓮宗に帰依した宮沢賢治の歌碑があります。
「光則寺」は、1274年に鎌倉幕府第五代執権北条時頼の重臣であった宿屋左衛門尉光則が邸宅であったところに創建した日蓮宗の寺院で、花の寺として知られており、樹齢200年を超えるカイドウをはじめ、紫陽花や藤、花菖蒲など四季折々の草花を楽しむことができます。なぜ光則が邸宅をお寺にしたかというと、北条時頼に日蓮上人が佐渡へ島流しとなった時に高弟であった日朗も捕らえられ、光則の邸内の土牢に監禁されました。その際、監視役であった光則は、日蓮上人が自を省みず弟子である日朗の身の上を案じる姿に心を打たれ、日蓮上人の放免後の1274年に、日朗を開山の祖として邸宅を寺として創建しました。また、日蓮上人が著した「立正安国論」は、1260年に光則の父である行時か北条時頼に建白したもので、父の影響もかなりあったのかもしれません。以前は無料だったような記憶がありましたが、久しぶりに訪ねたところ、山門のところの料金箱に入場料として大人(高校生以上)100円を入れるようになっていました。
名前 |
光則寺 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
0467-22-2077 |
住所 |
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評価 |
4.1 |
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宿屋左衛門入道光則(やどや さえもんにゅうどう みつのり)の屋敷跡地に建立された日蓮宗寺院。光則は鎌倉時代中期の武士であり、北条氏得宗家被官の御内人であった。光則は日蓮聖人との関わりが深く、文応元年7月16日(1260年8月24日)、聖人が「立正安国論」を北条時頼に提出した際、寺社奉行として聖人の手から時頼に渡す取次ぎを担当した。また、聖人の書状には文永5年8月21日(1268年9月29日)、10月11日 (1268年11月16日)にも北条時宗への取次ぎを依頼する書状を送るなど、宿屋入道の名前で度々登場している。同8年(1271年)、日蓮聖人が鎌倉幕府に捕縛されると、弟子の日朗、日真、四条金吾頼基等の身柄を預かり、自身の屋敷の裏山にある土牢に幽閉した。聖人との関わりのなかで光則はその思想に徐々に感化され、日蓮聖人が流罪を助命されると深く帰依するようになり、自邸を寄進し、日朗を開山として光則寺を建立した。現在も寺院の裏山に当時の土牢が残されている。庫裏がどこかよくわからずインターホンも無かったので御朱印や御首題はどこで頂けるのかはよくわからずでした。