歴史を感じる内穂坂路。
回看塚の特徴
天正10年、織田軍による高遠城の陥落を伝える歴史的な背景があります。
武田勝頼が炎と共に新府韮崎城に火をかけた史実があります。
家臣小山田信茂の居城である岩殿城の存在が記された貴重な史跡です。
天正10年(1582)織田軍が信濃国に進入し、武田信玄の五男仁科信盛の守る高遠城を落とすと、武田勝頼は3月3日に入城間もない新府韮崎城に火をかけ、家臣の小山田信茂の居城岩殿城(大月市)へ落ち延びることとなりました。その途中勝頼夫人は振返り、煙の立ち上る新府城を見て、「春かすみたちいづれども幾度か あとをかへして三日月の空」という歌を詠んだと伝えられています。
日本の富士山の方向性(原文)Dirección monte fuji en Japón 😍🤗
中々でした。
| 名前 |
回看塚 |
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| ジャンル |
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| 評価 |
3.7 |
| 住所 |
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旧塩﨑村の内穂坂路のかたわらに、回看塚 がある。天正の王午の春、勝頼公 新府城落去の時、この塚に登り遥かに新府をかえりみて、歩を進めかねた。そうだ。後人、よって 回看塚 となづけた。そうだ。春かすみ たちいづれとも いく度かあとをかへして 三日月のそら弥生三日なれば かく詠ませ給ふか 云々理慶尼の記に、夫人の歌として紹介されている。