甲府城のランドマーク、オベリスク!
甲府城 謝恩碑の特徴
甲府城敷地内の謝恩碑は、目立つオベリスクです。
明治天皇からの恩賜林を記念して建設されました。
伊東忠太設計の独特な洋式建築物が特徴です。
甲府城敷地内にある碑です、階段を登った上にあるので歩きやすい靴で行きましょう。明治天皇より山梨県内へ下賜が行われた事を後世に伝えるために建てられたものとの事です。
明治に天皇から山林を山梨県が貰った時に、記念して建てられたそうです。形はほぼエジプトのオベリスクで、そういった意味では良いのですが。場所が甲府城の本丸のかどに有り、かなり目立ちます。何で城跡にオベリスクが有るの?と、かなり違和感を感じてしまいました。
シンプルだが、遠くからも目立つこの尖ったものは何だろうと思ったら、設計者は伊東忠太だった。伊東忠太は、1984年に、それまで「造家」と訳されていた「Architecture」は「建築」と訳すべきだと提唱した。一橋大学兼松講堂や、名だたる神社を設計した。
謝恩碑(揮毫:山縣有朋)1907(明治40)年の大水害など度重なる水害によって荒廃した山梨県内の山林に対し、明治天皇より山梨県内の御料地が下賜されたことに対する感謝と水害の教訓を後世に伝えるために1922(大正11)年に建設された。
明治天皇から木をもらった記念して建てられた碑。
日本のお城の中に洋式な建築物。完成してから約100年経っているので流行り廃りで建てられたものではない事が分かるし、建築された理由にも強い説得力があるので決して奇をてらって建てられたものではない事が分かる。多くの人々の願いが込められた建物だと思うので、貫禄や風格のようなものが備わっているように思う。高台にあり背が高いので遠くから見てもよく目立つ。
天皇家より恩賜林を賜った際に記念に建てられたもの。初見時は『なんじゃこりゃ』って思ったけど、山梨県立博物館で恩賜林の展示を見て考えが変わった。長らく水害に悩まされてきた当時の甲斐の人々にとって、これは本当に大事な出来事だったんだろうな。
なぜか立っているオベリスク。目立つようで目立たない存在で、現地民にとってはこの塔よりも岡島や東横インの看板の方が気になるんです。階段登っていくルートは2つあり、登ってからも草木に近いところに入れるルートがあり、とにかく石でできたでっかい建造物という印象。自撮りするにもアングルが取りにくくなるのでドローンでもないとうまくいかないけど、多分ドローン撮影はマズイかもしれない。
この巨大なオベリスクのおかげで城跡の風景が台無しになっている。
名前 |
甲府城 謝恩碑 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.9 |
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オベリスクです。違和感あります。