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名前 |
花陽院門前町 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.0 |
銘よりーーー駿府九十六ヶ町のうち華陽院門前町「此町は元横田の内にて寺門前なるに據って然唱へ寺に隷く地なり」と江戸時代の地誌『駿河志料』に記されています。町は伝馬町と鋳物師町に挟まれ、東海道に面し府中宿の一画を構成しています。町名の華陽院は、元禄五年(一六九二)「駿府町数并家数人数覚帳」などによります。花陽院門前町は、明治五年誉田町と中八幡町となり、現在は伝馬町・鷹匠二丁目の一部となっています。町名の由来となった玉桂山華陽院は、元来智源院と呼ばれ、松平竹千代、後の徳用家康公が今川氏の人質時代に勉学に通った寺としてて知られています。駿府での竹千代の養育にあたった外祖母源応尼《家康公の生母お大の方の母)の法名に因み華陽院に名を改めました。華湯院には源応尼の墓と並んで家康の五女市姫の墓があります。