南谷戸の大草鞋、驚きの巨大なわらじ。
南谷戸の大わらじの特徴
大正初期に作られた有形文化財の巨大わらじです。
住宅地に突如現れる巨大な草鞋に驚きます。
鎌倉道に面し、多くの人々が行き交う歴史的な場所です。
240623 13:50 大正初期に副業に藁加工が奨励され、家内安全、五穀豊穣を願って作られた。全長3.5m、重さ200/kgで、3年毎に作り替えられる。有形民俗文化財。昭和40年頃までの農村部では、子どもたちのお小遣い稼ぎに夜なべに草鞋を作ったものだ。
草鞋の下にある石碑、月と太陽、それに三猿もあるが青面金剛ではなく観音のようだ。大わらじの起源が大正期であるのに対し、この石碑はかなり古い。右左面に貞享元天 十月廿七日(1684年)と彫り分けられている。後ろには相州下倉田村また入口の灯籠の一つには享和二戌年(1802)とある。大わらじの下にあるポストからお札を頂ける。
南谷戸の大草鞋【横浜市戸塚区】映画を見たあと、戸塚まで行ってみました。説明板によると、この地に鎌倉時代より道祖神が祀られ、南谷戸村人は草履を献納して家内安全・無事息災で慶事に励めるよう祈念した、又お伊勢詣りや大山神社等への旅の安全を祈願した。この鎌倉街道を往来する旅人はよき小憩の場として利用し、その草履を旅人や僧侶は履き替えて元気に旅立って行った。いつの頃からか村民が総動員で大草鞋を作り住民と往来の人々の交通安泰を祈願して今日に及んでいる。とありました。また、地元のタウンニュースによれば、今年4月25日に4年振りに掛け替えられたそうです。大わらじを奉納する風習は、地域の若手農家が米作りの副業としてわら加工を始めたことがきっかけ。五穀豊穣や交通安全を願い、大正初期から110年に渡って受け継がれてきたとありました。道切りのために設置されたのではないようですが、こうした民俗が大切に守り続けられていることは素晴らしい。また、堅牢地神塔、庚申塔、道祖神も並んでいるので、興味のある方は是非どうぞ。
わらじが新調され、綺麗になっています。見るなら、今でしょっ!
加山雄三の番組(ゆうゆう散歩)でも取材受けてましたね。
何年かに一度、新しい草鞋との架け替えの時の何も掲げてない風景が不思議です。テレビの散歩番組で、加山雄三さんも訪れました。一対(2枚)だったなんて、最近知りました。
言われなきゃ気付けないです。特にナニがある訳でもないですが、歴史は感じられます。
思っていたより大きくて驚く。説明文なども添えてあるので面白いです。
草鞋が大きくてビックリしました。通りから少しはいったところなので気にしていないと通りすぎてしまいます。
名前 |
南谷戸の大わらじ |
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ジャンル |
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電話番号 |
045-866-8321 |
住所 |
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HP | |
評価 |
4.0 |
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有形文化財に指定されたという巨大なわらじ。3年に一度作り替えられているものを文化財と呼ぶのには、どう定義するのだろうと思うが(テセウスの船的な意味で)、受け継がれているのは物ではなく技術や取り組みなのだから無形では、と頭の中をぐるぐる。南谷戸と言うが、とりあえず古昔マップで100年前の地図を確認したところ、確かにこの辺りは南谷(みなみやと)という名の村?だったようだ。1970年頃にはその名が無くなっている。また、かなり立派な庚申塔があって、見るからに古い初期のデザインをしている、「貞享元天」とあり1684年かと思われる、元天がどういう意味か分からない。泉区に住んでいるが、戸塚区の方が古いものが結構多い気がする。草むらの木の立札も古そうだ。