九条の都会的な静けさ、茨住吉神社。
茨住吉神社の特徴
茨住吉神社は九条商店街を抜けて東側にあります。
立派で都会的な印象の鉄筋コンクリート構造が特徴です。
餅まきや夏祭りなど、楽しめるイベントも開催されています。
大阪市の九条に所在する住吉神社で、境内はコンパクトで、1階が社務所、階段を上った2階が本殿になっています。鳥居や本殿の朱色が印象的です。土曜日の昼間に参拝しましたが、参拝者は数名だけで、とても静かでした。
餅まきの時に行きました。19:30直前に行きましたが、すでに人がいっぱいでした。2回ほど手に当たるもまあまあの勢いがあり取れず。代わりに子供が6個も貰いました。もう少し早く行けば良かったかな?
静かで、土曜日でも、空いていました。
茨住吉神社(大阪市西区九条1-1-17)は地下鉄九条駅から徒歩約5分の場所です。ご祭神は住吉三神と神功皇后の四柱です。神社の公式HPによれば(以下引用)~淀川や大和川の河口付近に形成された砂州は、大小の島々となって難波八十島と呼ばれていましたが、わが九条島もその中の一つでありました。それらの島々は自然と人為が作用し合って次第に陸地化し、江戸時代になるとその周辺部は急速に新田の開発が進められるようになりました。九条島では寛永元年(西暦1624年)ごろから新田の干拓工事が始められ、その完成とともに東西二十五間(45メートル余)南北七十五間(136メートル余)の境域が区画され、社殿が造営されて、産土神として新田・河川の守護神として住吉大神が祀られました。やがて時代の推移と共に九条新田の田畑は人家となり、大正時代から昭和時代初期にかけて、西大阪の中心街・歓楽街として最も繁栄し、神社境内には常時映画館や出店があって昼夜参拝者で賑わい、氏子も四区にまたがって4萬戸を超え当神社として最盛期を迎えましたが、昭和20年(西暦1945年)三月十三日第二次世界大戦中の空襲によって神輿庫一棟を残してことごとく焼失しました。その後、神職・氏子崇敬者が共々に復興に専念して、昭和40年に現在の鉄筋コンクリート造二階建の社殿を竣工、つづいて参集殿・渡廊・鳥居門・手水舎・石玉垣などの付属建造物を昭和46年にそれぞれ完成し、神社としての規模をようやく整えました。なお当神社の故事については、江戸末期以降の地誌・名所図会などに種々の記載はあるものの傍証のできる記録文書に乏しく、茨住吉神社の「茨」についても菟原群住吉郷の住吉神社(現在の元住吉神社)から分祀したのでとも云い、また新田開発当時「いばら」が生い茂った荒地に祀られていたからとも伝えられますが、特定できる資料はありません。~とあります。江戸時代末期の浮世絵「浪速百景」では鳥居の向こうに水面がみえます。古地図から推理すると木津川と考えられます(現在、鳥居から木津川までは280m以上離れています)。私はこの神社に参拝するのは初めてでしたが、過去にこちらの神社の住吉踊の皆さんが住吉大社へ来て奉納されていたことがありとても気になっていました。参拝した際に社務所の方がとても親切に対応してくださり、多くの資料もみせてくださいました。神社の境内は第二次世界大戦の空襲で焼失しているとのことで、現在の本殿は水害を考慮して2階建てとなっており、とても特徴のある様子になっています。
立派な神社さんでした。一階に社務所、2階で参拝です。平日の昼間だったので、参拝される方はいなかったです。御朱印は社務所で、書き置きでいただきました。
駐車場はありません。境内乗り入れできるスペースはありそうですが、駐車場としての明確な案内はありませんでした。コンクリート造りの社殿で近代的ですが、再造営したようです。由緒は古い神社です。大阪の海は、神社の場所からまだ少し距離がありますが、昔はこの辺りまでだった名残でしょうね~。住吉四神が祀られています。開けた境内で、綺麗に清掃・整えられています。車の往来が多い通りに面していますが、凛とした空気感に包まれる境内でした。
ゆったりと参拝のできる神社です(*´∇`)1月3日に行きましたが、可愛いフルーツあめの売り子ちゃんがいました💓
とても綺麗な神社です。広々として清々しい気持ちになります。
九条商店街を抜けて東側にあります。参拝者はいませんでした。普段来る事が無かったので参拝して行きました。
名前 |
茨住吉神社 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
06-6582-2211 |
住所 |
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HP | |
評価 |
4.0 |
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茨住吉神社久しぶりに行ってきました。前回は桜が咲き乱れてる頃でしたが、今回は真っ青な夏空。江戸初期、香西誓雲が九条島開発の際に勧請した神社。開発当時付近に茨が群生していたことからこの名が出たといわれる。「にぎやかに街の栄える土地」という意味の衢壌(くじょう)が後に九条となった。