平等院奥院の金箔荘厳美。
白川金色院跡の特徴
1102年に設立された、平等院の奥院としての歴史があります。
金箔貼りの本堂は、荘厳かつ華麗な外観を持っています。
明治の廃仏毀釈により廃寺となりましたが、興味深い歴史があります。
平等院から約2k徒歩30分、民家と工場そして田園がバラバラにある山村の風景が、惣門をくぐるとここに金色院があったと思えない景色が。創建は康和4年(1102)藤原寛子(後冷泉皇后)が父頼通の山荘の後に、文殊菩薩を本尊に金箔を施した七門四面の本堂をして、白川別所(金色院)を創建。長禄4年(1460)に盗火により消失するも、後白川16坊と称され発展するも藤原氏の衰退と共に衰微し最後の三つの子院も明治維新の廃仏毀釈により廃寺。細部は鮮明になってないらしいです。ちなみに藤原寛子は宇治の寺院で92歳まで暮らしていたらしいです。残された惣門、九重石塔、白山神社を拝見して帰路に着きます。
面白いところだね。
1102年に藤原頼道の娘寛子によって平等院の奥院として建立され本堂が金箔貼りの荘厳華麗なものであったそうです。白川十六坊と称された寺院も室町時代の火災を経て、江戸時代にはその多くが衰退し幕末まで残った三坊も明治維新後の廃仏毀釈で廃寺となりましたが、旧地にある白山神社や地蔵院には文化財が残されていました。国指定重要文化財は白山神社:拝殿木造伊邪那美尊坐像木造十一面観音立像地蔵院(京都国立博物館蔵)木造阿弥陀如来立像木造観世音菩薩坐像銅造阿弥陀如来及び脇侍像 2躯板彫両界曼荼羅 2面。
名前 |
白川金色院跡 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
HP | |
評価 |
3.6 |
周辺のオススメ

京都府宇治市白川にあった寺院で1102年に藤原頼道の娘、四条宮寛子により平等院の奥の院として建立されて白川御所と呼ばれたが1460年の放火で焼失し、再興されたが明治の廃仏毀釈で廃寺となった。現在は総門だけが残る⁉️