快存上人の徳を偲ぶ、見応えの史跡。
上人塚の特徴
福全寺にある快存上人の墳墓は見応えがあります、歴史を感じられます。
徳本上人が揮毫した六字名号の碑が立つ、歴史的な意義の深い場所です。
上人堂には飛騨古川にゆかりのある名僧の足跡が残っています、訪れる価値あります。
2023/01/15 三寺参り。
史跡の由来は写真をご覧ください。ここにもさざれ石がありました。国歌に歌われているあのさざれ石です。岡田屋さんの近くにありました。円光寺と瀬戸川の間にある細い小道をブラブラ歩いていたら、ちょっとした広場に出てきました。近くには飛騨の匠文化館や飛騨古川まつり会館があります。
福全寺の中興の祖、快存上人の墳墓です。天正17(1589)年、金森可重は増島城と城下町の造成を始めました。古川を訪れた快存上人は、無住だった福全寺を管理していた石屋職人瀬戸屋源兵衛の勧めで入寺して住職となりました。上人は金森可重から新たに寺院を建立し寄進することを申し出られましたが、寺院よりも町作りや民の為に用水路を開き新田を開発することを申し出ました。その時に造成されたのが現在の瀬戸川で、古川の町作りに大きく貢献しました。上人は寛永10(1633)年に入寂し、その墓は古墳時代の円墳であったこの塚の上におかれ、江戸時代から上人塚と呼ばれていました。福全寺は明治7(1874)年に廃寺となりましたが、毎年開山堂で法要が続けられているそうです。
見応えあります!天然記念物との事です!
| 名前 |
上人塚 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
3.6 |
| 住所 |
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