戦国の歴史を感じる織田塚。
織田塚の特徴
織田信秀による稲葉山城攻めの戦死者が弔われた場所です。
戦国時代の織田と斎藤の激闘の痕跡が残っています。
昔のままの町並みが広がる、歴史的な史跡です。
あまりの狭さに驚きました。織田信秀と斎藤道三は争っていたんでしね、ところが息子の信長と道三は相性が良いのでこの辺りは不思議です。
【織田信秀に関連有り】
ガイドがいるツアーで訪れた織田塚。地元民でも知らない者が多いだろう。情けないことだ。ブラタモリでも紹介されたときはうれしかった。(2022_05_06)
織田信秀が稲葉山城を攻めて加納口の戦いで斎藤道三に大敗、その時の戦死者がここと円徳寺境内に弔われてる。外側から鍵が開けれる扉がある。なんのためにあるのか謎。
もっとアピールしてもいいのに。
天文13年(1544)に織田信秀が斎藤道三の稲葉山城下に攻め込みましたが、道三の逆襲にあって弟の信康までが討ち死にするという大敗を喫しました。その模様は大河ドラマ「麒麟がくる」でも描かれていましたね。こちらにあるのはその時の戦死者を葬った塚ですが、織田塚という名前から織田方の戦死者を葬ったものでしょう。敵といえども、死んだ者は埋葬して供養するというのは日本的で良いですね。それにしても戦死者が約五千人というのはいくらなんでも多すぎると思います。数百が実際に近いと思います。こちらの他にも円徳寺の境内にも織田塚の改葬地と伝わるものがあります。どちらにも地図と案内板あるので、以前よりは行きやすいと思います。説明にはこちらの塚は地元の保存会の人々によって定期的に献花と清掃が行われていると書いてありましたが、素晴らしいことだと思います。やはり地元の人々の支えなくしてこのような史跡は残っていかないと思います。
場所だけで見つけるのは難しい。写真をよく確認してからいくべし。
周辺の町並みは変わっても、ここだけは昔のまゝです。
戦国時代の織田VS斎藤の痕跡。後の信長の楽市楽座も近辺にある。
名前 |
織田塚 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.2 |
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天文13年(1544年)9月22日に起きた、織田信秀による稲葉山城攻めの際に命を落とした約5000人の戦死者を葬った塚です。岐阜駅からは意外に遠いので疲れました。岐阜市指定史跡です。またもう一つの織田塚が近くの円徳寺にあるそうです。