歴史を感じる綺麗な神社。
若栗神社の特徴
創建は白鳳年間、葉栗臣人麿を祀る神社です。
年三回の草取りや境内掃除で、常に美しい環境が保たれています。
地域住民の協力で防犯もしっかりと行われ、安心して参拝できます。
とても落ち着く神社です。
地域の方々がお世話をしており綺麗に保たれています。何時も社務所が開いているのではなく祭事のときだけです。ご朱印は地域の方が書いて下さいました。
毎日当番制で境内の掃除をしていたり年三回草取りをしたりでとても綺麗にされてます建物の中も総代さんや年行司さんが寒い中年末にきれいに掃除をするので傷みがないです住民は大変ですがエリアの防犯のためにもしっかりしていていいです。
光明寺を建立した有力者を祀る葉栗臣人麿の功績をたたえる神社白鳳年間創建この地の有力者である葉栗臣人麿が、先祖(天押帯日子命)を祀るために創建したと伝えられます。1605年(慶長10年)領主の兼松正吉(尾張藩徳川義直家臣)が天文年間に仏像(八幡神)が合祀され、八幡宮に改称しました。葉栗臣人麿は、葉栗臣人麿別名栗本人麿と伝えられ、7世紀後半頃、天武天皇に仕えた葉栗郡の郡司として善政を行い、光明寺(現存)を建立したといわれています。一宮市浅井町河田葉栗野491−0142には、葉栗臣人麿別名栗本人麿の墓と伝えられる『人麿塚』があり、横穴式の石室に組合せ石棺が見つかっています。また,馬具や土器などが出土しているそうです。現在は河田の公民館のとなりに石碑が建っています。弥生・古墳の時代、今の尾張北、川島町の境に、この人麿呂塚=現一宮市浅井町=を中心に浅井古墳群に50有余基築ていきます。その頃、葉栗臣氏の治める葉栗郡は、現在の江南市草井、小杁、村久野、鹿子島、宮田などと一宮市浅井町や北方町、木曽川町、岐阜県川島町、岐南町、笠松町、柳津町、羽島市と各務原市の一部に広がっていました。旧境川(岐阜)の南に本村・支村を含む156有余の村落があり、葉栗臣栗本人麿呂の支配下にあったとされます。木曽川は七、八流とも言われ、旧境川より長良川、墨俣へ流れてその境は、洪水の度かわり、流れは定まりませんでした。いまでも、岐南町には、羽栗という名前の地域が残り葉栗臣栗本人麿呂時代の隆盛を残します。
一宮市博物館データより葉栗臣人麿(はぐりのおみひとまろ ):生没年不詳7世紀後半にいたと考えられる葉栗郡の役人。官位二十六階の「小乙中」という官位を持つ。光明寺を創建したとも伝える。人麿の墓といわれる古墳からは、昭和6年県道工事に際し、組合せ式の家形石棺が発見され、金銅製の馬具や、須恵器が出土している。石棺は移築され河田公民館前に保存されている。参考文献『新編一宮市史資料編3』
| 名前 |
若栗神社 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
0586-78-5184 |
| HP |
https://www.aichi-jinjacho.or.jp/search_detail.html?id=f161faf1-59cc-4617-b46d-6e5bedf59c30 |
| 評価 |
4.1 |
| 住所 |
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小さい時から何年も参拝しています。地域の方々が毎日清掃してみえるので・(落ち葉も草取りなど)落ち着きます。毎月お参りに行きます。