会津若松の魅力、蒲生氏郷の墓。
瑞雲山興徳寺の特徴
会津若松中心部に位置する古刹で、歴史が息づく場所です。
蒲生氏郷公の墓所があり、貴重な史跡として訪問者に親しまれています。
真新しい仁王門とおさすり地蔵が印象的な、落ち着くお寺です。
会津若松の中心部街中に在る興徳寺に行ってまいりました!織田信長や豊臣秀吉にもかかわる蒲生氏郷公の墓所があります!会津若松にとても貢献された人物です!黒川の地名から若松にした人物でもあります!またこの興徳寺、豊臣秀吉も御座所したお寺です!その他色々と歴史上有名な人物が関連のあるお寺ですよ。
会津若松にある蒲生氏郷の墓です。
なかなか落ち着くお寺さんですおさすり地蔵さんもあります。
駅前のホテルから市内の繁華街への大通りを歩いていると、左手に真新しい仁王門が見えた。門の中へ進むと秋篠宮紀子様のご先祖墓の案内板。思い掛けない蒲生氏郷の墓(遺髪)との出合いである。信長、秀吉に重用され、奥州の仕置きを任された氏郷の死後、その末裔の神社を宇都宮八幡山に見た驚きを思い出した。更に驚いたことは、九州の肥前の戦国大名 龍造寺氏の墓存在だった。
會津稽古堂の西側、神明通りの東側。カドミセ雑貨店向かいです。蒲生氏郷の墓あり。撫牛います。最寄りは神明通り停留所。会津若松駅からはバスで5分(毎時4本程度ある)
蒲生氏郷さんが好きで、会津に来た時は必ず挨拶に来ます。こちらは遺髪のみで、遺骨は京都にあります。蒲生氏郷は多くの諸大名にその才覚が認められ、鶴ヶ城を建て、会津の地を「黒川」から「若松」に変えた方です。また、豊臣秀吉が千利休に自刃を命じ、千家が意図的に滅ぼされようとされていた時、蒲生氏郷は千利休の次子である千少庵を保護し、千家再興に尽力しました。その後、蒲生氏郷は京都で40才という若さで無くなりました。その彼の遺髪が五輪塔にあります。彼は若松が大好きで、その証が滋賀県の日野町にあります。また彼の幼少期の名は鶴千代で、鶴ヶ城の鶴はそこから来たという説があります。是非、会津に来た時はお参りにくると良いと思います。
貴重な史跡です。
今の時代の建物は、会津戦争後の鶴ヶ城解体の余材をもって再建されたとのこと。その戦火のが凄まじかったことを感じる次第である。豊臣秀吉が奥州仕置きをした場所とのこと。それに反発した九戸政実の乱の地である九戸城跡を同じ旅程で訪れたのはたまたまであったが、奇妙な因縁でもあった。こちらでのご朱印もまた戴きに伺いたい!
蒲生氏郷墓所。おさすり地蔵。
名前 |
瑞雲山興徳寺 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
0242-22-2993 |
住所 |
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評価 |
3.9 |
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神明通りから東に入った場所にある古刹。現在御朱印は対応されていないそうです。住職は不在でしたが、奥さまに丁寧にご挨拶いただきました。