不開門が語る熱田神宮の神秘。
清雪門の特徴
清雪門は六六八年から閉ざされた不開門として知られています。
熱田神宮の北門であり、神剣を守るための開かずの門です。
静かな雰囲気の中、歴史を感じる特別な場所です。
超 地味なスボット…看板によると…六六八年から門を閉ざしているそうな…ってことは…うぇっ!今から1500年前からあるの?マヂで?木ってそんなに、もつの?扉の金具もそんなに古くから?と思いましたが…表向き〇〇年に改築とか書いてないから…疑問は残りますね。土台部分の石は当時からの物ってのは確実でしょうね 壁や瓦ってどうなんでしょねっ?昔っからあったのか?これまた疑問ですね。そんな事を考えさせられた場所です。古くからこの場所に門があったんです的な感じなのかな?もし…気になる方は個人的に調べてみてくださいね。
本宮の北門と言われ、不開門(開かずのもん)とも言われている。門の両袖に築地塀の一部が残っている。(信長塀が似ている?)天智天皇7年(668年)神剣を盗み新羅に持ち出そうとした新羅の僧道行が、この門から逃げ去った(侵入した?)が、嵐で船が遭難し、神剣は無事に戻された、以来、神剣が再び遷ることがないように、この門は不吉の門として閉ざされたと云われているとのこと。この門では笑酔人(えようど)神事(オホホ祭)が行わなれる、朱雀元年(686年)に熱田の地に還座し、社中がこぞって歓喜笑楽した様子伝えるものという。神面を影向間社で袖の中へ受け取り、神楽殿前、八剣宮を巡った後、清雪門で返納する。熱田神宮には「神宮四門」と呼ばれた門があり、その一つが清雪門で、戦火は免れた唯一の門。他の三つの門は「海上門(正門)」・「春敲門(東門)」・「鎮皇門(西門)」と呼ばれ国宝に指定されていたが、先の空襲で焼失、以後再建されることはなかった。門(塀)の裏側はどうなっているのだろうか?門と塀が建っているだけ?
他の方も解説されているように、熱田さんの南の外れで、ひっそりと佇んでいました。しかしその姿は荘厳で、歴史を感じさせるものでした。
この清雪門は、造営当初は「本宮の北門」もしくは「別宮の東門」と呼ばれた門です。かつて存在した清雪門以外の3つの門は、太平洋戦争ですべて消失してしまいました。この門は現在では完全に閉じられており、熱田神宮の神職や巫女ですら通行出来ない門であることから、「不開門(あかずのもん)」と呼ばれるようになりました。いつから閉じられているかは不明ですが、数百年前から閉じられているということです。趣があり、歴史のある門ですから、熱田神宮参拝の際は見ていかれると良いでしょう。
2021年12月上旬に行きました.。熱田神宮自体は何度も参拝しておりましたが、こちらの存在を知ったのは最近で、近くに用事があったついでに伺うことに一見すると「なぜここに門が?」となりますが、ネットで調べると深い歴史を学ぶことができました。
ここを通る人は少ないので熱田神宮の中でも特に静かです。
熱田神宮の歴史を鑑みると、一度見ておいて良いと思います。
門だけが残されてます。
熱田神宮境内にある開かずの門です。
| 名前 |
清雪門 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
052-671-4151 |
| 評価 |
4.2 |
| 住所 |
|
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開かずの扉とありますが、見る限り開けようと思ってもあかないような気がします。