会津の歴史を感じるスポット。
市営小田山公園の特徴
会津の歴史を感じる場所で、戊辰戦争の跡地を散策できます。
季節ごとに美しい桜が楽しめ、新緑も堪能できる公園です。
自然が豊かで、会津市内の絶景も満喫できるのぼり口があります。
子どもの時にはここののぼり口でみんなスキーをしていました。リフトもないし、ただの広い坂ですが、たのしかったなあ。歴史的な場所でもありますが、ただの散歩にも最適です。
自然が残ってる。若松市が一望に見渡せる。休む場所が無い。駐車場が整備されていない。
かつて、太閤豊臣秀吉公が、慶長三年(1598年)五大老の一人である、上杉景勝公と、その執政(筆頭家老)の直江兼続公を越後、佐渡、庄内三郡他(伝91万石)から、会津、佐渡、庄内三郡(120万石)に転封と命じました。居城となる会津若松城は、名将である蒲生氏郷公が築いた名城でしたが、ここ小田山を始め東山の山々に近い舌状台地に立地していたため、城内の様子が容易く見られてしまうという問題、また進歩していた大砲の射程距離内になり得るという、数々の懸念がありました。関ヶ原の合戦のキッカケとなる、上杉景勝公の神指城の強硬築城の一因でもありました。事実、明治維新に官軍は、この小田山に砲台を設け未だ命中精度の低い大砲を発射して、会津若松城の天守閣にさえも命中させました。
冠木門がどこかわかりません。眺めは最高でした。
昔と、違い道が広く桜も植樹されてきれいになっていたので、驚きました。見晴らしも最高でした。
蒲生氏郷時代の城跡戊辰戦争での薩長軍が大砲を据付け、鶴ヶ城に向けて放った場所で、歴史好きには見て欲しい場所です。
良く整備され歩き易かった 鶴ガ城 会津市内の眺望が良 史跡としても一見の価値あり。
戊辰戦争の時西軍がこの場所から鶴ヶ城に向けて大砲を放った歴史を感じる場所です。
まだ桜がさいていて、鴬の泣き声が新緑の爽やかさをいっそうひきたたせていました。
名前 |
市営小田山公園 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0242-39-1262 |
住所 |
〒965-0825 福島県会津若松市門田町大字黒岩字主 山 丙 460-1 |
HP |
http://www.city.aizuwakamatsu.fukushima.jp/docs/2007081001597/ |
評価 |
3.9 |
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幕末に、この山から会津城にアームストロング砲で砲弾を浴びせた。距離2Kmに満たない。維新軍は城に凧が揚がっていたのが印象的と言ったそうだ。この山は中世の豪族、葦名氏の山城だったそうだ。山の中腹には中国義和団の乱で八カ国連合の事実上の指揮官だった、会津の柴五郎と兄四郎兄弟の墓がある。少し分かりづらいところにある。入り口の案内板から入り、開けた墓地の右側に下って行くと右側にひっそりと佇んでいる。会津の悲哀と心意気を全世界に示した名将よ、安らかに眠り給え!