還住の立役者、次郎太夫のお墓。
佐々木次郎太夫の墓の特徴
1785年の大噴火を経験した歴史的な場所です。
還住を成し遂げた立派な方の墓として知られています。
名主・佐々木家代々の墓が存在する重要な史跡です。
この島を作った立派な方です。
1785年の大噴火で八丈島へ全島避難がなされた。といっても非難の過程で船には全員が乗ることができず、先のある若者から乗せたため、老人を中心に多くの方が命を落としたと現地の方が説明してくれた。それから半世紀近く経った1835年に佐々木次郎太夫の活躍で島民の還住が達成されたそうだ。
(2022/09) 次郎太夫の墓、というより名主・佐々木家代々の墓。実は次郎太夫はもともと広江姓で、名主就任に当たって佐々木に改姓したらしい。対面には佐々木卯之助の墓がある。
青ヶ島への還住を成功させた佐々木次郎太夫のお墓です。100mほど西にある還住像のモデルの方で、300mほど東にお屋敷跡(名主屋敷跡)があります。
名前 |
佐々木次郎太夫の墓 |
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ジャンル |
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電話番号 |
04996-9-0033 |
住所 |
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HP | |
評価 |
4.3 |
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氏を与えられた島の偉人噴火発生後の青ヶ島への還住に尽力した次郎太夫のお墓。のちに佐々木を名乗ることを幕府に許された偉人。海が見える景色の良いところで眠りについている。