大黒屋光太夫の供養碑。
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天明二年に遭難した大黒屋光太夫らの供養碑です。当然のことながら、地元の人達は彼らが助かってロシアにいるとは、露知らず三回忌に当たる天明四年に供養碑を建立したのでした。墓地の入口が通りの反対側にあるので少し分かりにくいです。ご注意を。
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名前 |
大黒屋光太夫供養碑 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.3 |
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左は光太夫ら船乗16人の供養碑で、施主は荷主だった松阪の豪商、長谷川次郎兵衛。右は光太夫の実家、亀屋。一緒に乗っていた役人は含まれません。