伊勢外宮の奥、神馬が導く。
大津神社の特徴
大津神社は、伊勢外宮の奥に静かに佇む神社です。
御祭神である葦原神は地域の守護神として信仰されています。
港口の守護神としての歴史が感じられる場所です。
豊受大神宮(外宮)末社序列7/8位おおつ神社祭神は葦原神(あしはらのかみ)もとは五十鈴川の河口にある地域の神社(かみやしろ)と大湊(おおみなと)の港口の守護神比較的新しい神社で明治6年この地に再興されました。この神社の前に上御井神社の遥拝する場所が有ります。上御井神社は直接参拝出来ない神社です。
御祭神:葦原神創建は不明です。当社は豊受大神宮(外宮)末社です。外宮の末社は「延喜式神名帳」に記載されず、当時は国家の祭祀を受けていませんでした。ですが、平安時代初期には度会宮の所管として公認されていた事から、平安時代以前には存在したと考えられています。御祭神の葦原神(あしはらのかみ)は、もとは五十鈴川の河口にある港町の神社や、大湊の守護神と伝えられています。拝:2020/08/07伊勢神宮125社(60/125)
この先の行き止まりの柵があるトコから上御井神社を参拝されたし。
度会国御神社の先にある神社。人が少なく、木々のざわめきや鳥のさえずりがはっきり聞こえます。こういう場所を見つけるのは、探検をしているみたいで楽しいですね。
お参りして戻ろうと歩いていると、正面から神馬が引かれて歩いて来ました。御厩から厩舎に戻る所だったのでしょうか。ビックリしました。
大津神社の「大津」とは、かつて当社が大湊町の港口(こうこう)に鎮座し、その地域一帯の鎮守として祀られていたことから「大津」の名前が付されたとのことです。大津神社は、伊勢神宮・外宮に属する神社で、外宮宮域の西端に位置します。当初は、五十鈴川の河口近辺の神社町(かみのやしろちょう/=現在の神社港)で祀られていたようですが、以降の鎮座地については不詳とされており、明治6年になって有史上に登場します。1873年(明治6年)になると現在地に社殿が移築されて再興されています。御祭神は「葦原神」といい、読み方は「あしはらのかみ」と読みます。大津神社でお祀りされている葦原神は、五十鈴川(宮川)の河口に広がる港町「大湊町(おおみなとまち)」の土地神と云われております。葦原という名前で思い浮かべるのが、日本大陸のことを「葦原中つ国(あしはらのなかつくに)」と呼びます。これにまつわる由来と考えしまいますが、少し異なるようです。古来からの通説では「葦という植物が一面に自生している野原」のことを「葦原」と呼んだりしていました。他には「悪し原(あしはら)」、つまりは、植物が自生しにくい道悪な場所(原っぱ)にでも、しぶとく自生する「葦」の生命力にアヤかって「葦原」と呼称したそうです。
こちらは、更に、奥‼️(^_^)y-゜゜゜゜゜ちなみに、帰りも、人に、合わなかった‼️
伊勢外宮の社の奥に佇む社。爽やかな風と木々の触れ合う音が心地よいです。
伊勢外宮の社の奥に佇む社。爽やかな風と木々の触れ合う音が心地よいです。
名前 |
大津神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP | |
評価 |
4.6 |
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伊勢の神宮、豊受大神宮(外宮)の末社です。外宮の宮域内の西側、表参道から外宮第一駐車場前を通って裏参道の火除橋を渡って御厩手前で右側の道に入って杜の中を進んだ奥に有ります。度会国御神社と同じ様な外観で、砂利の上に鳥居と木柵、柵の中に社殿が有る神社、敷地前には社号を記したと思われる石碑が有りますが風化からか文字が消えかかっています。此方の社殿も新しかったです。裏参道でも人は多いのですが、此方は訪れる人も極少ない様で静かでした。