圧巻の前方後円墳、美景尽くし。
琵琶塚古墳の特徴
栃木県最大の前方後円墳で、圧巻の迫力を体感できます。
芥子菜畑に囲まれ、美しい風景を楽しめる隠れた名所です。
すぐ近くには摩利支天古墳があり、古代の魅力を感じることができます。
円方墳です。ビワの実の形に似ている所から琵琶塚と名付けられたのでしょう。樹木はなく草刈りされて手入れがされていました。頂上には小さな石祠が置かれていたので手を合わせて、古代に、この地域の開拓、開墾、灌漑を進めた先人に感謝の念を伝えました。バックホーンで工事中でした。形状を整備して古代に造成した当時の形に近付けるのでしょう。古代には多くの人手で造った古墳も今は重機一つあれば十分に作れちゃうんですね。
栃木県最大の前方後円墳です。見渡し良いです。ただ、地元での知名度はあまり高くないようで…
小山にもこんな遺跡があるのですね。
通りがけに寄ってみました。多分前方後円墳かな?周りは畑で見晴らしがとても良いですよ。
地元栃木県民ですが知りませんでした。今回、わかってよかったー。一面菜花で、古墳とのコラボが素晴らしいです!
「あ、髪切った?似合うー」栃木県でNo.2の墳丘長125メートルを持つ、国指定史跡の前方後円墳です。以前訪問した際は、墳丘に木立がありましたが、最近訪問した方の写真を見ると、すっきりとスキンヘッドになっているようで、きれいに整備されていることがわかります。ここの古墳の主は下毛野國を治めていた地元豪族か、もしくはヤマト王権から信任を得て派遣された國造か、ロマンは尽きないですね。2013年から発掘調査が実施され、多数の円筒埴輪が出土しました。出土品は隣りにある「国史跡摩利支天塚・琵琶塚古墳資料館」に展示されています。ところでこの資料館の名称のなんですが、なんで摩利支天塚古墳の名前が作で琵琶塚古墳が後なんだろう、って疑問でした。だって、各スペックは下記載の通り、琵琶塚古墳の方が高いのに。摩利支天塚古墳:推定築造5世紀末、墳丘長117m(県内3位)、国史跡指定1978年琵琶塚古墳:推定築造6世紀初頭、墳丘長128m(県内2位)、国史跡指定1926年と、ここまで書いて突如理解できました!築造時期が摩利支天塚古墳の方が早かったんですねー。そりゃ、お兄ちゃんを先にしますよね。ああ、納得デス。出来の良い弟(貴乃花)だったとしても、セットで呼ぶときはお兄ちゃん(若乃花)が先になって「若貴兄弟」でしたもんね。その点から比定するならば、この古墳はさしずめ貴乃花?
西側の壬生通りから見ると、とてもきれいな前方後円墳の形を見ることができます。墳部の真上には石祠があり、結構遠くからでもそれを確認することができます。
立派な前方後円墳ですが、季節によっては蚊にお気をつけください。近くに摩利支天塚古墳もあるので古墳資料館に車を止め、資料館⇨琵琶塚古墳⇨摩利支天塚古墳の順でみるのが良いかも。
5世紀頃の造営らしい。墳丘の築造と副葬品作りに一体、どれだけの人工と時間をかけたのだろうと、想像するのも楽しい。
名前 |
琵琶塚古墳 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0285-22-9826 |
住所 |
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評価 |
4.0 |
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6世紀前半、お隣の「摩利支天塚」に続いてつくられた古墳です。長約 125 ㍍の栃木県で2番目の大きさを誇る前方後円墳です。 墳丘長、約124.8m、後円部の直径、約75m、高さ約11m、前方部の幅約70m、高さ、約9mです。墳丘の前方部は2段、後円部は3段になっており、高低差は少ないですが、後円部が前方部よりも大きくなっています。円筒埴輪が多く見つかりました。古墳の周囲には、周堀は幅約20mあり、二重にめぐらされ、左右非対称の形をしています。墳丘や中堤には、高さ60㎝を標準とした円筒埴輪が1㍍間隔で立てられ、埴輪列が複数巡ることが判明しています。大正15年(1926年)に国の史跡に指定されました。