栃木最大級!
摩利支天塚古墳の特徴
栃木県内最大級の古墳で、墳長は120.5mです。
摩利支天尊が祀られ、歴史を感じるスポットです。
近くには琵琶塚古墳と資料館があり、歴史好きにおすすめです。
古墳の上に摩利支天尊が祀ってあります。元旦と4月15日に別当の台林寺が護摩供を修します。
栃木県最大級の前方後円墳です。形も比較的良くのこってます。
摩利支天は陽炎を神格化した女神で、日本では武士の間で信仰されていたようです。古墳の入口にあった解説板摩利支天塚古墳は、5世紀~6世紀初頭にかけて築造されたと思われます。推定される栃木県内最大規模の前方後円墳だそうです。今の時期(秋)階段に落ち葉が溜まっている為、滑りやすく転倒しやすいので訪問する際は気をつけて下さい。
墳長120.5mの国指定史跡。栃木県内最大級の前方後円墳だそうです。
立派な古墳です。頂上には神社が祭られています。針葉樹の大木(御神木)は古墳を守ってきましたネ。これまで千数百年の間、地域の方々の手によってお祭りされ、崇められてきたのでしょう。日本の伝統文化の素晴らしさを垣間見る気がします。南側に鳥居がありそこが入口です。摩利支天塚古墳以外の,琵琶塚古墳の資料館に車を停めて、近くの道路を南下、左廻りで行くのがいいです。入口近くに石塔が三基、今回はよく読めませんでした。階段を登り前方部に着くと、馬の背の様にくびれていて、古墳の様子がよくわかります。今の時期は、ドクダミがフローラをつくっていて白い花が見事です。ヤマユリの保護に取り組んでいるようで、看板があちらこちらに!大切に守っていきたい場所です。
「初めての前方後円墳なの!」古代の下毛野国において、支配者層たる豪族の墳墓はちんまりした円墳ばかりだったのですが、5世紀末に突如現れた最初の大型前方後円墳が摩利支天塚古墳です。当時はヤマト王権に近い者のみがこの形状の古墳を造っており、権力の象徴であったと考えられています。つまり、この地においてヤマト王権と最初に密接な関係(主従?同盟?)を結んだのが摩利支天塚古墳の主だったと推測されます。また、ここの隣りにある琵琶塚古墳は6世紀初頭の造営と目されていることから、その主は摩利支天塚古墳の主から跡目を継いだ二代目、という事かしら?この古墳が作られた5世紀末といえば、雄略天皇あたりの時代です。埼玉県行田市にあるさきたま古墳群なども同時期に造営(稲荷山古墳から出土した国宝の金錯銘鉄剣には、埋葬主が雄略天皇の側近だった事が記されています)されており、ヤマト王権による東国支配は5世紀頃から、と見るのが妥当でしょう。日本書紀ではヤマトタケルの大活躍によって東国を支配下に治めたとされていますが、ヤマトタケルは記述通りだとしたら1世紀頃の人物。ましてや実在したかどうかもかなり怪しいですからねー。ところでこの摩利支天塚古墳、2020年度から数カ年をかけて発掘調査の計画があります。40年前の調査ではこれと言った埋葬品はおろか石室すら発見できませんでしたので、今回はリベンジ!是非日本の考古学史を変えるような大発見を期待します!
前方後円墳を感じられます。
古墳群に指定され良かたです。
古墳の形がはっきりとわかります。頂上の社殿も歴史のある建物のようですが、こちらはあまり知られていないようです。
名前 |
摩利支天塚古墳 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP | |
評価 |
4.1 |
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お隣の琵琶塚古墳と並び栃木県内最大級の古墳ということです。前方後円墳自体間近で見られる機会がないのに、こちらの古墳は登れてしまいます。