下野国庁跡で歴史を体感。
下野国庁跡資料館の特徴
奈良時代に建築された国庁跡の資料館で、歴史的価値が高い場所です。
八葉双葉蓮華紋の瓦を復元展示しており、当時の技術が体感できます。
周辺には奈良時代の遺跡群が広がり、田園風景の中で静かに見学できます。
奈良時代の遺跡群が周辺に広がる場所の様です。(今は田んぼが広がっています)東山道などに関する資料も有り、その時代の朝廷と地方の関係性について貴重な展示物や解説だと思います。
奈良時代というあまり商業ベースとは縁のない施設、素朴でなかなか興味深い。
下野国庁跡の側に建てられた市立の資料館。有料なところが多いですが、こちらは無料。国司が治政した役所の跡地といったところでしょうか。学芸員(おそらく)の方が、大宝律令が制定された奈良時代から平安時代までのことを詳しくご説明いただきました。
八葉双葉蓮華紋の瓦まで復元されていました。かなり町外れにあったおかげで国庁跡が保存されていたとのことです。
「こう見えても国指定史跡なのっ…」奈良〜平安時代ににおける、下野国の国庁(今で言う県庁舎)の跡地に建つ資料館です。古墳時代から平安時代までの約600年間、思川と姿川の合流地点の周囲一帯のこの地は、総社や国分寺などが立ち並ぶ下野国の中心地でした。古代から中世の国は全国に60以上ありますが、現在において建物の配置や範囲が検出されているのはおおよそ1/3に留まっています。そういう意味では、ここは発掘調査により国庁の全容がはっきりしている、数少ない遺跡と言えます。ところで下野国庁といえば、10世紀の平将門の乱の舞台となったことでも有名です。平将門はもとと常陸石井(今の茨城県常総市)を本拠としていましたが、わずか5年間で関東を制覇、その間2度(935年、940年)にわたり下野国庁にも襲来しています。一度目は生涯の敵である平良兼・貞盛コンビを追いかけて下野国府に押し寄せますが、周囲を包囲しただけで敵をわざと逃して包囲を解きました。どうやらこの時は自分の無実を訴えるため、過度な武力行使は控えたと言われています。ところがそれから3年後の938年、将門が本格的に関東掌握を目指しはじめた頃です。今度は国府内に踏み入り、国司から国印(権力)と正倉の鍵(財政)を奪いました。この頃は朝廷から逆賊認定されてしまい、開き直って独立するしか道がないという、ある意味追い込まれていたのではないかと見られます。そんな歴史のスペクタクルを、草ボーボーの跡地に立って思いを馳せるのもまた一興ではないでしょうか。
下野国府跡の北側にあります。木簡などの出土品が展示されています。先にこちらに寄ると良くわかります。入館カードを記入する必要があります。私は、千葉県から訪問したとわかると基本的には、コロナの関係で栃木県内の人に公開していると言われました。ホームページにしっかり記載して欲しいですね。結局、遠くから来たからどうぞと入れてくれましたが、何かスッキリしませんでした。電話で確認して訪問して下さい。
田んぼの真ん中で、昔の国分があった雰囲気はないが資料館のなかで下野、羽賀、白河の関、と見ると、奈良時代はいかにも。とおもう。
一部屋に納めた感じですが重要な展示物が多いですね。下野国庁がここまで大きかったとは知りませんでした。
歴史的に価値のある場所だが、主殿の発掘調査等が行われていないこと、また、異物などの展示も少ない。調査時のビデオ紹介は興味深い。
名前 |
下野国庁跡資料館 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0282-27-8900 |
住所 |
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HP | |
評価 |
3.8 |
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田園風景の中に、ポツンと、あります、資料館は無料で見られます、暑い日だっので、すぐエアコンをつけてくれました、ひと通りの説明もしてくれます、マムシ注意の看板があったので、聞いてみたところ、ヘビの死骸があったそうですが、マムシかどうかは不明見たいです。歴史的な価値の有る場所ですね。😽