岡寺の帰りに寄る治田神社。
治田神社の特徴
岡寺の元あった場所にあり、広々とした空き地の奥に社殿が建つ静かな参拝スポットです。
岡寺の帰りに見かけたので寄って見ました。祭神は【素戔鳴尊】等です。
岡寺の元あった場所とのことです。雰囲気のいい境内ですので、足を伸ばしても良いかも。
御祭神:応神天皇/素戔鳴尊/大物主命創建は不明ですが、延長5年(927)成立の延喜式神名帳に当社の記載がありますので、それ以前には鎮座していたようです。過去の発掘調査で、凝灰石の基壇や礎石・瓦などが出土した事から岡寺創建時の伽藍があったと推察され、岡寺の鎮守神として境内に祀られていたと考えられます。元々、治田氏の祖神が祀られていましたが、文安年間(1444-1448)に大物主命、応神天皇を奉祀しました。拝:2020/10/17
20/10/12参拝。境内の説明文によれば、創建時期は明らかではないものの、延喜式神名帳記載の式内社に比定されている。一方、境内から奈良前期に遡る古い瓦が見つかっており、岡寺が現在地に移ったのち、治田神社が鎮座てきたとされ、もともとの位置ははっきりしていないそうだ。ちなみに治田神社は、明治期以前、八幡社とも称しており、バス停近くにある鳥居は八幡社のもの。応神天皇(u003d八幡大菩薩?)、スサノオ、大物主を祀っている。岡寺の仁王門からすぐ目の前にある。
2019.12.13訪問岡寺の正門より向いにある。近年まで「八幡」だった神社で、鳥居は岡寺参道の下にあるります。
岡寺の仁王門に戻って西に歩くと広々とした空き地があって、その奥に治田神社の社殿が建っています。延喜式内社で岡寺の旧伽藍の中にあったと推定され、鎮守社と思われる。
万葉集に歌われる飛鳥の神奈備とは何を指すか、その論争は古くは本居宣長のころから始まっている。以来、雷丘説、甘樫丘説、ミハ山説、南淵説、様々に検討されるが、ここ治田神社は謎の故地に関する場所として好事家の間で密かなる注目を浴びている(と思う)。『飛鳥の祭りと伝承』所収の『岡・島ノ庄:民俗空間の基層』(伊藤高雄)は岡寺山を飛鳥神奈備山と考え、「岡寺山中腹に水の信仰が集中するのも、「飛鳥岡」が人と自然との交流の場として認識されていたからである」と指摘している。また同論文の脚注にては「岡寺の位置については、治田神社境内とする説と、現在の岡寺の東200メートルの山腹俗称ひらお山(元岡寺という)説がある。橿原考古学研究所の昭和五十七年度飛鳥京跡第84次調査では、治田神社境内の「遥拝所石碑」の東側に奈良時代のものと考えられる建物基壇が検出された(『奈良県遺跡調査概報 1982年度<第一分冊>』)」と記されている。ちなみに「寺跡は平成17年(2005年)に「岡寺跡」として国の史跡に指定された」とWikipediaにもある。実景論的検討からも飛鳥神奈備の岡寺山説は有力視され、藤田富士夫による精力的な研究群は説得力がある。すなわち、明日香の神奈備を遥拝する場合、本来ならばここ治田神社こそが有力な地点であり、近年流行のパワースポットとやらの観点でみれば、ここを逍遥せずして遥拝もあったもんじゃない。
応神天皇、素盞嗚尊、大物主命を祀る神社。境内に岡寺跡地がある。
小さい神社でしたがとてもいい感じがしました😁
名前 |
治田神社 |
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ジャンル |
/ |
住所 |
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HP |
http://www.jinja-net.jp/jinjacho-nara/jsearch3nara.php?jinjya=34138 |
評価 |
3.6 |
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岡寺仁王門前、突き当たりに鎮座されています。地元の氏神様といった雰囲気の神社です。元は岡寺の鎮守だったとの事です。