棚田を遠望、のどかな時間。
飛鳥稲淵宮殿跡の特徴
斉明天皇や皇極天皇にゆかりのある南淵の宮跡として伝わっています。
石舞台から近く道も整備されているが案内表示が非常に少ない場所です。
秋口から田植え前の棚田が美しく多武峰の明堂も遠望できます。
予備知識の無い私には山中の駐車スペースにしか見えない所。公園の再整備中との事ですので完成すればもう少し賑わうかもしれません。
正直何もないが、大化改新後に中大兄皇子が一時的に住んだ飛鳥川辺行宮の跡ではないかと言われる。発掘調査では4棟の掘立柱建物の他、玉石を敷き詰めた中庭などが発見されたらしい。
石舞台に行った時は、駐車場代わりに使っています。上に上がると展望台があり、周りが見渡せます。石舞台前の駐車場は、直ぐにいっぱいになるので、少し遠いですがこちらに止めています。
特に何もありませんが、棚田を遠望できます。「何もない」のに開発もされずその場所が残っているのが奈良のいいところ、かと。
何もなかった。
斉明天皇の飛鳥川辺行宮ではないかとされていますが、皇極天皇が雨乞いをした南淵の宮で、ここから遠望できる多武峰の明堂ではないかと予想します。
正直言って、こんな狭い場所に宮を築いたの???と驚きましたが、場所はなんだか心が安らぐ良いところです。
ここが飛鳥稲渕宮殿跡と言われても余り実感がわかない。(m´・ω・`)m ゴメン… 🙇
しっかりと整備されていて、観光地の石舞台から僅かの距離で道も整備されているのに石舞台にある観光案内にしっかりと案内されていないのがとても、もったいないと思います。
| 名前 |
飛鳥稲淵宮殿跡 |
|---|---|
| ジャンル |
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| HP | |
| 評価 |
3.3 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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現代では、この地に何も残されていません。ですが、明日香の地に来て、説明の言葉を読めば、遠い1500年よりも、さらに昔のことよりも前のことを少しは想像できるのではないでしょうか。なぜ、こんな辺鄙な場所に屋敷を作ったり、都をつくったりしたのでしょうか。当時の瀬戸内海、難波などの関係もあったのかと思います。奈良盆地から流れ出る河はどこでしょうか。地図を見てみると面白いです。