庚申塔の解説が新鮮!
正徳2年の庚申塔の特徴
庚申塔についての解説文が充実している点が魅力です。
関東出身でない方にも理解しやすい案内がされています。
歴史を学べる場所としての価値が高い史跡です。
関東出身ではない私のような者にとっては、庚申塔はあまりなじみのないものだと思います。こちらの庚申塔は数ある庚申塔の中でも、現在でも信仰を集められているようで、比較的きれいにされています。以下に説明文を大宮・川越道歴史散歩コース正徳二年(1712年)の庚申塔ここは三橋2丁目ですこの庚申塔は、江戸時代の正徳2年(1712)3月に並木村(現・三橋1〜3丁目)の井原兵左エ門をはじめとする総勢8名が、60日に一度めぐってくる庚申の日に信仰を続けた記念に建立したものです。昔はもう少し西寄りの畑の中にありましたが、「庚申塚ん家」と呼ばれていた井原家でお守りするようになったそうで、線香をあげ、庚申の日にはお参りするなど大切にしていました。現在でも、お参りする方が多く、折り鶴をはじめとする品が絶えず、大事に守られていることがわかります。ここを東西、および南方向への道は昔からの道で、塔面には「東 大ミや(大宮)道 南与乃(与野)道」と刻まれています。特に、与野で市が開かれる日(4と9の日)は、多くの人々が行き交ったそうです。西へ続く道は、国道16号が開通するまで大宮と川越を結ぶメーンストリートで、道沿いには江戸時代の年号を刻んだ石造物を数多く見ることができます。新大宮バイパスを過ぎ、並木橋で鴨川を越え、水判土の観音様を経て、佐知川、西遊馬、荒川、川越へと通じています。荒川堤防までは約3キロメートル、川越の街までは約11キロメートルの道のりです。東は上小町の子育て地蔵尊を経て、約2キロメートル東の大宮の町中へ通じています。さいたま市教育委員会生涯学習部文化財保護課。
解説文があり、分かりやすい。その辺の庚申塔を見るよりも良いのでは。
| 名前 |
正徳2年の庚申塔 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
3.4 |
| 住所 |
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⊂(・ε・`)ノシ.:∴