ふじ大山道の歴史を感じて。
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ふじ大山道は練馬から阿夫利山(大山)、さらに富士山へと道者達が通った道だそうです。
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| 名前 |
ふじ大山道碑 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 評価 |
3.0 |
| 住所 |
|
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環八通りができる前は、こちらがこの辺りのメインストリートでした。古い話しをすると、国道254号は日本陸軍が軍用道路として作った道で、トーホーボウルから分岐している道(今の環八通り)も同様で、光が丘団地が日本陸軍の航空隊の基地だった頃は、その基地の出入り口が高松にあったので、本来は信仰の道だったふじ大山道を広げたそうです。しかし、敗戦のために工事は地下鉄の平和台駅がある場所でストップしてしまい、環八の計画が浮上するまで放置され、川越街道から谷原方向への抜け道だと思って走ってきたドライバーは、いきなり道が狭くなるので困ったでしょうね。ここの道を見たらわかるでしょうが、こんなに狭いのに一方通行じゃないからトラックがすれ違い出来ないんです。4トンクラスならばなんとかなりましたけど、8トンクラスだと渋滞の原因でしたね。実際、その渋滞を目撃したことがありまして、片方の砂利トラがイラついたらしく、冷凍トラックの横を思いっきり引っ掛けて逃げて行きましたからね。