開運坂で運気上昇!
開運坂の特徴
坂道に設置された看板には、開運坂の由来が詳しく説明されています。
嘉納治五郎先生が名付けた開運坂は、歴史的価値が高いスポットです。
坂の中腹にある説明標識には、開運坂にまつわる興味深い情報が記されています。
講道館柔道の祖、嘉納治五郎によって「開運坂」と命名されたという。それは彼の経営する道場があり、その名も開運坂道場と言う、のちに移転後、講道館として後楽園で名を馳せる前の時期にここを柔道関係者が足しげく通ったことを考えると、勾配が10%もある急坂は彼のお眼鏡にかなう特別なものに思えてくる。それにこの急勾配は、交通標識にも、助け合いましょうとプレートがあるのが斬新。まるで開運はひとりじゃできない、互いに助け合うことが大事だと言われているような気がして嬉しくなる。坂の下には坂下町の由来を書いた説明板がある。
スキー場なら丁度良い斜度の坂道に坂の名称と由来を書いた看板が設置されている。今は住宅街の一部だけど、往時を思い、開運を願いつつ通る場所。
「開運」の文字に惹かれて訪れたのですが、“開運”に関わるパワースポット等は、ありませんでした。この坂が「開運坂」と命名された背景には、講道館柔道の祖である嘉納治五郎先生に関係があるとのことです。昭和初期に講道館が後楽園に移転するまで、この坂の上に柔道場と嘉納先生のお屋敷があったとのこと。この道場は、嘉納先生によって開運坂道場(後の講道館)と命名されたとのことです。つまり、この坂は、嘉納先生によって「開運坂」と命名されたようです。この坂は、勾配が10%程あります。見た目よりも急勾配です。
開運頼みます。
大河ドラマ韋駄天の登場人物の一人、柔道講道館創始者・嘉納治五郎先生が名付けた、坂。
坂の中腹(東側)に、坂の由来に関する説明標識があります。当該の坂の下には、旧大塚坂下町の町名由来の説明標識もあります。
『有効の活動』(大正11年 柔道会本部発行)所載の「閑雲去来」(海南生著)は、この坂について「師範が開運坂と名命(ママ)された」と記している。文脈から、「師範」とは、講道館の創始者で、教育家・嘉納治五郎のことと考えられる。この開運坂の命名由来については、これまで多く不明とされ、あるいは、めでたい名前をつけたのだろうとの推測がなれてきた。しかし先ごろ、大塚地区町会連合会・講道館等の調査により、命名由来について記す、これらの文献が発見された。『ぶんきょうの坂道』(文京区文京ふるさと歴史館発行、平成25年3月28日改訂版発行(第11刷)より。
| 名前 |
開運坂 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
3.7 |
| 住所 |
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坂下通りの名の通り東側を春日通の尾根道が通り坂下通りの谷筋から護国寺方面へ登る坂で直線化されているため結構な勾配がある。