歴史が息づく日本橋の魅力。
日本橋【国指定重要文化財】の特徴
日本橋は江戸時代から続く交通の要所で、歴史的に重要な場所です。
現代においても日本国道路元標が置かれ、国道の起点として知られています。
美しい麒麟像が特徴的な日本橋は、東京の街のシンボルとなっています。
国重要指定文化財。日本橋川に掛かり川面の映りまで計算され、獅子、麒麟などの彫刻が備えられた和洋中折衷、土木・建築・美術の技術の粋を集めた装飾橋の代表。1911年(明治44年)に完成した石造の2連アーチ橋で日本に広がる5街道の起点になっています。橋自体にも入口出口があり、入口は漢字、出口はひらがなになっているそう。直上に架かる首都高都心環状線は景観的にはいただけませんが、日本の経済発展の象徴とも言える異空間。地下道への移行が進んでいられるのでこの景色が見られるのは今だけかもしれません。
▼何度も通る「日本橋」。それこそ日本の東京へ向かう道の起点は、全てここから始まりますね。▼最近、この「日本橋」の揮毫が、最後の将軍・徳川慶喜によってなされたものということを知りました。▼高速道路の横に貼られた横文字の「日本橋」はこの橋に縦書きで書かれた慶喜の揮毫を横に並べ替えたものだそうです。▼明治44年、新築になった日本橋の橋標を、世間から隠れるように生きていた当時の慶喜に東京市長・尾崎行雄が強引に頼んだのだそうです。▼簡潔明瞭、端正な文字で「日本橋」とだけ書かれており、誰が書いたのか分からない様、落款がありません。▼これは、勿論慶喜自身が世間の表に出るのを嫌がったというのもあるのですが、実はこの揮毫を東京市長・尾崎氏が慶喜に依頼した理由を意識したことも重要な要素らしいのです。(岩下哲典氏「江戸無血開城」による)▼つまり、尾崎氏は、慶喜が新政府軍に恭順し、上野寛永寺から水戸に謹慎。慶喜の懐刀である三舟(高橋泥舟、山岡鉄舟、勝海舟)によって「江戸無血開城」がなされたことが、明治44年の東京の発展に繋がっていると考えたのです。▼あの時に、慶喜が恭順せず、新政府軍によって江戸が戦火に焼かれていたら(ただでさえ江戸は大火事になりやすいですね。明暦の大火で江戸城本丸まで無くなりましたから)、明治44年時点の日本橋、いや東京市の発展は無かったという事で、慶喜に揮毫を頼んだのです。▼慶喜は多分、揮毫時に三舟の顔が浮かんだのでしょう。(皆先に亡くなっています。)▼岩下氏によると、実はこの江戸無血開城に一番功労があったのは勝海舟ではなくて、高橋泥舟であると断じています。▼となると慶喜が揮毫する時に一番気になったのは泥舟でしょう。泥舟自身、江戸城無血開城後に、なぜ自身を「泥舟」なんて名付けたかと言うと、カチカチ山の狸の「泥舟」、川に出したら沈んでしまいましたね。▼自分も世間という川に出したら沈んでしまう泥舟。だから自分はもう世に出ないほうが良いのだと、無血開城後は、静岡で慶喜を支えながら表に出ることなくひっそり生きていた泥舟。▼それでも明治政府の官僚となっていた勝海舟の尽力により、慶喜が明治35年に公爵叙爵を受けると、泥舟は非常に喜び、翌年、しずかに息を引き取ったと言われています。▼慶喜は、この泥舟のことを思い、その名前の由来を思い、自身も世間への露出度を抑えなければという覚悟で落款をしなかったのかもしれませんね。▼日本橋のこの橋標だけでも、色々な人間ドラマがあるのですね。
2024年9月22日、午後訪問東京駅の北東にある橋当日は日本橋周辺を散策しており日本橋も何気に初めて観光?しやしたよ橋の袂にはクルーズ船の船着き場がありちょうど乗船する人で賑わってやしたよまた橋の上には重厚な彫刻が飾られており北側には道路元標なる日本の道路の起点の記念碑がありやした観光客も多く橋の南側には案内所もあったさあ。
日本橋が創られたのは江戸時代の慶長8(1603)年といわれています。翌年に日本橋が主要な五つの街道(東海道・中山道・奥州道中・日光道中・甲州道中)の起点として江戸幕府より定められました。 現在の日本橋は、明治44(1911)年に建設されたルネサンス様式の石造二連アーチ橋になります。橋長は49.5m、幅は27.5mで、青銅製の照明灯が施されています。また、建築家の妻木 頼黄の考案に基づく麒麟や像や渡辺長男制作、岡崎雪声鋳造の獅子ブロンズ像など芸術性の高い作品が設置されています。橋の親柱に記された橋名の文字は、第15代将軍である徳川慶喜の筆によるものになり、日本橋は 平成11年5月13日に国の重要文化財に指定されています。
江戸時代より続く交通の要衝にして東京中心地の歴史ある橋今でも橋の北側に主要国道の起点となる「日本国道路元標」が置かれています。現在掛かる2連アーチの石橋は1911年製の物になっており、花形ランプの飾柱を中心にシンメトリーに配置された翼のある麒麟像がとても有名で、他にも獅子の像などが飾られています。橋の上には首都高都心環状線が通っており私自身そちらを走ることが多いので、日本橋のイメージは標識と一瞬見えるランプの先端部なのですが、2040年頃を目処に首都高が地下に潜り再び石橋が空の下に顔を出すそうです。いつもは通り過ぎる橋ですが偶には足を止めて眺めるのも良いと思いました。
あの有名な浮世絵で見たことがある日本橋 五街道の起点 江戸時代からの歴史ある日本橋現在の橋は1911年に作られたらしく、麒麟像がとても美しいです。1964年に首都高速が橋の上に建設され少し薄暗く感じました。2040年には首都高のこのエリアが地下に移す工事が終わり、青空がみえるようです。
日本の道路の原点。この「日本橋」のプレートの文字は最後の将軍、徳川慶喜の揮毫だそうで。
高速道路のペパーミントグリーンの壁に青緑×モスグリーンの看板で、昼の日本橋は渋目な印象ですが、夜になると灯る天井は、水面に浮かぶ波紋のようで、日本橋をキラキラ(ギラギラ?)にライトアップしてくれます。2040年にはその天井がなくなり青空夜空が見えるようになるみたいですね。だいぶ先です。
首都高速都心環状線が地下化する前に来ました。この橋は、歩道や車道が広く、全然揺れていなかったのでとてもいいです。音声ガイドもあり、歴史がわかりやすく解説されていました。しかし、この橋が観光地であるせいか、カメラを向けながら歩く人がいたので不愉快です。
名前 |
日本橋【国指定重要文化財】 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP |
https://www.city.chuo.lg.jp/a0052/bunkakankou/rekishi/kunibunkazai/030621.html |
評価 |
4.3 |
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東京都中央区にある首都高速道路都心環状線の下を流れる日本橋川にかかる歴史ある橋です。最初の木製の橋は江戸時代初期の1604年 ( 慶長9年 ) に完成して五街道の起点になりました。1911年 ( 明治44年 ) に造られた重要文化財でもある現在の橋の中央の照明灯には青銅製の麒麟像が飾られています。橋がある「 中央通り 」の地下には東京メトロ銀座線が走っています。訪日外国人がとても多いところです。