地味だけど面白い、築瀬城跡の神秘。
城山稲荷神社の特徴
地味でマイナーな雰囲気が楽しめる場所です。
境内に築瀬城跡がある歴史的な神社です。
主祭神として宇迦之御魂神が祀られています。
築瀬城跡が神社の境内になってます。裏側のど類の脇に車一台分の駐車スペースがあります。単郭式の城のようですが、空堀と土塁、井戸が残ってます。
主祭神 宇迦之御魂神由緒当社は往古、原市字鍛冶村の真下幾太郎氏の邸内に鎮座していたものです。文化初年、有志により社殿玉垣等を新築し現在地に遷座しました。本殿は文化年間(1804~1818)の造営、拝殿は文政六年(1823)の造営です。以来、中御門家(楽道、笙を司る公家)の祈願所となり殷賑を極めました。文政七年(1824)同家奉納の抱柏御葉牡丹の紋の「紫縮緬幕」が社宝となっています。その後、天保年間(1831~1845)に社頭は一時衰微しますが、明治十六年(1883)に至り村民信徒が奮起して修築を施し、境内風致を改めると共に「簗瀬の市」を開き再興しました。天井格子には奉納者の家紋が描かれています。そして信仰の証である絵馬の中には、祭礼の様子が美しく描かれています。また境内地は、安中氏の出張城であったと伝えられ「城山」と称しました。「安中志」によれば建治元年(1275)四月の頃に安中氏の祖、二位中納言惟基が築城し、応永六年(1399)中納言重国の時に越後国新発田へ移住したとされています。(「鷺宮咲前神社HP」より)簗瀬城跡「城山稲荷神社」城山稲荷神社の境内は、「簗瀬城」の本丸にあたります。簗瀬城は建治元年(1275)の築城といわれています。神社のある本郭以外、周囲は宅地や農地になっています。本郭の北側と西側の土塁は良く残っていて、特に北側は二重土塁で、空堀の地面を歩くことができます。他の部分は舗装された道路になっています。他に、この「簗瀬城」から西側、直線で500m位の所に、武田信玄が陣を置いた「八幡平陣城跡」があります。武田信玄が陣城を築いたのが永禄四年(1561)で、当時松井田城主安中忠政と安中城主安中忠成親子は箕輪城主長野氏に属し、武田信玄と戦いを交えていました。武田信玄がこの付近帯に八幡平陣城を築いたのは、安中城と松井田城の間を分断する目的だったと考えられます。また、簗瀬城跡(城山稲荷)の付近には、滝山城跡(聖明寺)、榎下城跡(久昌寺)など城跡が多くあります。(ブログ「武士(もののふ)を巡る」参照)
名前 |
城山稲荷神社 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
027-381-2726 |
住所 |
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HP | |
評価 |
3.5 |
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地味過ぎて、マイナ-な雰囲気が面白い。