石室の秘密を探る!
都塚古墳の特徴
葡萄畑の中にポツンとある小さな方墳です。
明日香村の歴史を感じる6世紀後半の古墳です。
見事な横穴式石室と家形石棺が見れる貴重なスポットです。
有名な石舞台古墳から歩いて10分足らず、辺りに棚田が広がるところにある古墳。六世紀後半に築造された階段ピラミッド状の墳丘と言われている(が、実際にはそうとはわからない)。横穴式石室のなかには家形石棺が安置されており、鉄格子の間から見ることができます。被葬者が気になるところですが、蘇我稲目の娘=蘇我馬子の妹の可能性説を読んで興味深かったので訪ねてみました。
鉄格子の間から石室内部と蓋のズレた刳貫式家形石棺が見えます石舞台古墳から徒歩10分程ですが途中歩道がないところがあります。
大きく有名な古墳は周囲は見れても中が見れないのがほとんどやけどここは小さな古墳やけど棺が見れたのがよかった。来て良かった。
明日香村は、古墳でも有名な所。とくに石舞台古墳・髙松塚古墳・キトラ古墳周辺は、公園として整備されています。石舞台古墳は古墳その物が大きくて中を見学でき、近くに広場や展望台があることから大勢で見学するにはよく思います。で、この石舞台古墳に行ったなら近くにある都塚古墳も見逃せない。近年の発掘調査で、ピラミッドのような形をしていたことが明らかになったとか。石舞台古墳のように中を見学することはできませんが、鉄格子状の扉から中を覗くことはできます。
見事な横穴式石室と家形石棺!
どーやって積んだのだろう?
都塚古墳は、横穴式石室に家形石棺を納めた6世紀後半の後期古墳。階段ピラミッド構造が珍しいらしい。蘇我馬子の父・蘇我稲目の墓ではないかと言われている。石舞台古墳から徒歩で。天気が悪いと遠く感じられた。
蘇我稲目の墓ですね。蘇我は朝鮮半島渡来人のながれです。神道対仏教の対立で仏教普及させてかなり神道がやられた。日本古来の神代文字も蘇我によってやられた。大切な天皇記や国記も蘇我によって焼かれた。
2019.12.12訪問1辺約28m、高さ約4.7mの方墳。「金鳥塚」とも呼ばれて、元旦になると金鶏が鳴くという伝説がある。埋葬施設は南に開口する両袖型の横穴式石室で、全長12.2m、玄室部長さ約5.3m、最大幅2.95m、高さ約3.5m、羨道部長さ5.9m、幅・高さ約1.9mを測る。玄室内には凝灰岩を刳り貫いて造られた縄掛突起付きの家形石棺が納められている。6世紀後半の築造、被葬者として蘇我稲目が候補です。発掘調査で墳頂部に近い墳丘東斜面から石積みの階段状遺構が4段分(長さ約6メートル)見つかり、築造当初は階段ピラミッド状の巨大方墳(東西41メートル、南北42メートル、高さ7メートル以上)だったことが分った。(関西大の発掘調査による)
名前 |
都塚古墳 |
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ジャンル |
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住所 |
〒634-0122 奈良県高市郡明日香村阪田小字ミヤコ938 |
評価 |
3.9 |
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葡萄畑の中にポツンとある❗古墳です。石室と石棺はシツカリ残っており❗蘇我稲目の墓は静に葡萄畑の中にあります。