幕末の芝居小屋、北座の跡地。
祇園 北座跡の特徴
四条川端付近には、幕末に芝居小屋が7ケ所存在した歴史があります。
元和年間に許可された常設の芝居小屋の一つとしての重要な地位を持っています。
祇園北座跡の碑や与謝野寛・晶子の歌碑が近隣にあり、文化的な魅力を感じられます。
四条川端(四条橋東詰)付近には、幕末に7ケ所の常設の芝居小屋がありました。そのうち北座・南座が残っていたが明治26年(1893年)に北座は、四条通の拡張工事によって廃止されて取り壊されました。現在は、南座だけが残っています。一筒八ツ橋本舗が明治中期まであった「北座」にちなみ外観を劇場風に改装し本店と博物館を併設した北座ビルが建てており、ちょっとみたら、南座と北座があるように見えます。北座ビルの川端通側に北座があったことを示す石碑と駒札があります。
明治頃までこの場所に南座に対し、北座という芝居小屋があったそうです。京都市の提供の写真を見ると、石碑の少し離れた左側に駒札もあるようですが見落としてしまいました。現在は北座と書かれた商業ビルになっています。
マイルストーンであるような...(原文)이정표인것 같은...
元和年間(1615~24),四条河原での興行が許可された7か所の常設芝居小屋のひとつ。のちに四条河原の整備により四条橋東周辺に集中した。幕末には7か所のうち,北座と南座だけが残っていたが,明治26(1893)年に取り壊され,現在は南座のみになっている。この石標は北座の跡を示すものである。
〔祇園北座跡〕の碑から少し北、京阪・祇園四条駅9番出口の植え込みに与謝野寛・晶子の歌碑が建っている。 晶子 四條橋おしろい厚き舞姫の額さゝやかに打つ夕あられ 門下斎藤秀子謹書 寛 南座の檜看板を舞姫と日暮れて見るも京のならはし 門下西村一平謹書 平成2年)1990)5月「みだれ髪の会」建立の大きな碑。
이정표인것 같은...
南側の芝居小屋は「南座」として栄えたのに、「北座」は何故廃れたのでしょうか?「東寺」が栄えて「西寺」が廃れたのには歴史的背景がありましたが…💦
| 名前 |
祇園 北座跡 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
| HP |
https://www2.city.kyoto.lg.jp/somu/rekishi/fm/ishibumi/html/hi130.html |
| 評価 |
2.9 |
| 住所 |
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北座があったとは知らなかった。