以仁王の邸宅、歴史感じる石碑。
高倉宮址の特徴
平家討伐の原点、以仁王の邸宅跡です。
高倉宮址に立つ鞍馬石の立派な石碑が魅力的。
後白河院の第3皇子の不遇を感じる場所です。
姉小路東洞院の交差点を南に行った東側の教育相談センターの敷地内生垣の中に高倉宮址と刻まれた鞍馬石の立派な石碑が立っています。このあたりには、平安京時代の後期には、以仁王(もちひとおう1151年~1180年)の高倉宮御所が有りました。高倉宮の名は邸宅が三条高倉にあったことよるとのこと。
後白河院の第3皇子でありながら不遇の身であった以仁王の御所の跡。三条高倉にあったことから高倉宮と呼ばれていたということです。ここから平家追討の令旨が各地の源氏に発せられ、源平の争乱が始まりました。
名前 |
高倉宮址 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP |
https://www2.city.kyoto.lg.jp/somu/rekishi/fm/ishibumi/html/na060.html |
評価 |
3.7 |
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平家討伐に最初に立ち上がった以仁王の邸宅でした。