歌人藤原俊成ゆかりの神社。
新玉津島神社の特徴
歌道の神衣通郎姫を祀る神社です。
藤原俊成の邸宅地に建立された由緒ある場所です。
烏丸松原東入に位置し、歌人との深いつながりがあります。
文治二年(一一八六)後鳥羽天皇の勅命により、藤原定家の父で平安末期から鎌倉初期の歌人として名高い藤原俊成が、烏丸から室町にかけての自分の邸宅地に、和歌山県和歌浦の玉津島神社に祀られている歌道の神「衣通郎姫(そとおしのいらつめ)」を勧請したことに由来する。後白河法皇の院宣により、藤原俊成はこの邸宅を和歌所として「千載和歌集」を編纂し始めた。ちょうどその年、木曾義仲が京に攻め入り、平家一門は都落ちするが、門下の一人である平忠度は、危険を顧みずこの屋敷に引き返し、「一首なりとも選んでほしい」と自分の秀歌の巻物を献じた逸話が有名で、俊成は、その中から次の一首を選び、千載和歌集に載せたという。現在は修理している箇所があり、夜になると門が閉められます。御利益は、短歌、俳句、文章、芸能の上達。
藤原定家の父、藤原俊成が自分の邸宅地に和歌山の玉津島神社に祀られている歌道の神[衣道郎姫(そとおしのいらつめ)]を勧請した事に由来するとの事。短歌、俳句、文章の上達祈願に訪れる人が多いようです。駒札が新しくなりました!
えーと、「しんたまつしま~」ではなく、「にいたまつしま~」と読むらしい。平安時代末期、勅撰和歌集の選者である藤原俊成が、紀州の、和歌の神様の玉津島神社から、歌神「衣通姫」を自邸内に勧請したのが起源。この地で新古今和歌集の編纂がなされたりして、まさに和歌の聖地のようなところ。新玉津島神社に関係する和歌「たのむかな我ふぢはらの都より 跡たれ初し玉津島姫」(新続古今集)「玉津島手向くからに言のはの露にもみがく色やみゆらん」(前大僧正光済)
歌人として名高い藤原俊成の宅地に和歌山の玉津島神社から歌道の神を勧進したことに由来する神社です。いやはや案内板は読みにくくなっていたが歴史のある神社であるのがわかりました。
歌人にゆかりの神社。
烏丸松原東入にあります。和歌山の玉津島神社を勧進してきた神社だそうです。
和歌のカリスマ藤原俊成の邸宅に、和歌浦の玉津島神社より、衣通姫の分霊を勧請したことが始まり。邸を和歌所とし、千載和歌集が編纂された。神社は御神職の自宅も兼ねているようで、夕方5時には閉門されるので注意が必要。こじんまりしているが、そこがいい。
藤原俊成ゆかりの神社。この神社近くに藤原俊成邸があった。
名前 |
新玉津島神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP | |
評価 |
3.6 |
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短歌、俳句、文章上達の神様。修繕中だった。御朱印などは用意なし。