朝鮮出兵の歴史を感じる耳塚。
耳塚 (鼻塚)の特徴
文禄・慶長の役に由来する、耳や鼻を葬った貴重な史跡です。
豊臣秀吉が建てた五輪塔が存在する歴史的な場所です。
戦乱の負の遺産を感じることができる哀しみの場です。
中には入ることはできません。名前だけ聞くと驚きますが、歴史を感じることができる場所でもあります。
当地は文禄・慶長の役(1592- 1598)での朝鮮出兵の際、戦功の証として討取った朝鮮・明国兵の耳や鼻を削ぎ、持ち帰ったものを葬った塚と言われています。慶長2年(1597)に豊臣秀吉の命で築造され、秀吉は方広寺と大仏を造立しましたが、耳塚はその門前にあったとされています。拝:2024/01/21
豊臣秀吉が建てた五輪塔。討ち取った敵兵の耳や鼻が埋葬されているらしい。古墳のように盛り上がった塚の上に五輪塔が立っていて割と大きめの史跡。大和大路通りからは見えにくいため割と気付きにくい感じ。周りは住宅地で観光客もそんなに行き来はしてない感じでゆっくり見学できるが、中へ立ち入ることはできない。
1592〜1597年の朝鮮出兵(文禄・慶長の役)で戦功の証となる首級の代わりに秀吉の将兵が耳や鼻を切り取り持ち帰り埋められた。(2万人の耳や鼻が埋まってるらしい)(島津氏は独自に高野山に塚を建てて供養してるとか🤔その数3万7千人だとか)
文禄・慶長の役の際、半島へ攻め込んだ武将が戦功の証として敵方の耳や鼻を削いで塩漬けにして持ち帰りそれを埋納したと云われる桃山期の戦跡、正直無辜の民のものも多いんだろうな隣は児童公園で子供が無邪気にはしゃいでる、その対比で逆に哀しみがつのる哀しみの場だけど桜は綺麗だな。
貴重な史跡ですね。
豊国神社門前にある史跡で鼻塚とも呼ばれる。豊臣秀吉の朝鮮出兵(文禄・慶長の役1592年~1598年)のうち、慶長の役で戦功の証として討取った朝鮮・明国兵の耳や鼻を削ぎ持ち帰ったものを葬った塚。約20000人の耳が埋葬されている。It is a historic site in front of the Toyokuni Shrine gate and is also called Nozuka. Of the Toyotomi Hideyoshi's dispatch to Korea (the role of Bunroku and Keicho from 1592 to 1598), the mound where the ears and nose of the Korean and Ming dynasty soldiers who were defeated as proof of military service in the role of Keicho were scraped and brought back. .. About 20,000 ears are buried.
連れられて訪れましたが、耳や鼻が埋められているそうです。パワースポットにもなっているのですね。ぱっと見はポツンとある塚で、そんな歴史があるとは思いもしません。戦いの歴史に思いを馳せました。
説明書きが頂けない!残された我々は辛い話が残されて行くのでしょうね。
名前 |
耳塚 (鼻塚) |
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ジャンル |
/ |
住所 |
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HP |
http://www2.city.kyoto.lg.jp/somu/rekishi/fm/ishibumi/html/hi140.html |
評価 |
4.2 |
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どんだけ耳や鼻がここにあるのかと思うとゾッとします。今の日本人は温厚で良かった。