源頼朝ゆかりの八幡神社。
角渕八幡宮の特徴
角渕八幡宮は、源頼朝の家臣が創建した神社です。
優れた職人が施した見事な透かし彫りが魅力です。
芭蕉句碑が建つ静かな境内では、歴史を感じられます。
祝日の朝8時に行ったので他に訪れている人はいませんでした。駐車場もあり近くも散歩しながらのんびりできるところです。頼朝公が鎌倉の由比ヶ浜に似ていたのでこの地に神社を創設させたそう。近くに川が流れているので、そして当時は堤防も無かったと思うので随分違った景色だったんでしょうね。
烏川に向かい悠々と鎮座しています。社殿彫刻、欅の大木、猿田彦大神石碑等、全て風格があります。
この角渕八幡神社は玉村八幡宮の元宮で、その創建は建久6年(1195年)8月、源頼朝の家臣で上野奉行安達藤九郎盛長が鎌倉鶴岡八幡大神の別御霊(わけみたま)を勧請し奉斎したのに始まる、と資料にあります。角淵八幡宮が鎮座する「角淵」という地名の由来は、地域に数多く存在する蛇神伝説や龍神伝説にあり、この地域には以下の伝説があります。「那波八郎伝説」姿を現した怪物を、那波八郎廣純(なわはちろうひろずみ)は刀を振ってその首を切り落とした。このとき、怪物の折れた角を川に投げ、後に淵になったところが、現在の玉村町「角渕」であり、切った手を捨てたところが玉村町「上之手」(神の手)であるという。
御朱印なし。
玉村八幡に本殿を移動したので、天保2年に新築。小さい建物ですが、縁の下まで彫刻で飾られた凝った建物です。
この神社は、源頼朝にゆかりがあるそうです。那須野で狩りをした頼朝が鎌倉へ戻る途中、この辺りの烏川河畔で休息しました。その折り、広々とした河原の美しさに頼朝は感動し「まるで鎌倉の由比ヶ浜のようだ」と褒め称えたそうです。そして後に、家臣の安達盛長に命じて、鎌倉の鶴岡八幡宮の分霊を移して、神社を創建したのだとか(*^^*)なお角渕という地名は…その昔、烏川の流れによって角のような岸辺ができ、そこが船着き場として利用され、角渕と呼ばれるようになったということです(^_^ゞ
当神社は玉村八幡宮の元宮です。元来角渕地区は水陸交通の要地で早くから開け、鎌倉時代の初め、建久四年(1193)源頼朝が那須野で狩りをした帰りに角渕で休み、烏川の風景が鎌倉の由比ヶ浜に似ているというので、建久六年(1195)、上野奉行安達藤九郎盛長に命じ、鶴岡八幡宮の別御霊を勧請したのが、角渕八幡宮のはじめといわれ、中世の戦火に焼かれるまでは、薬師堂をはじめ塔楼数棟、栄華をほこったといわれています。八百年以上の歴史の中で盛衰を繰り返して来ましたが村人は鎮守様として敬い、親しみ、守って来ました。(境内案内板・記念碑より抜粋)立ち並ぶ事勝神や猿田彦大神、庚申塔などの石塔の中に、古峯神社(倭建命)、戸隠神社(天手力雄命)、熊野神社(伊邪那岐命、伊邪那美命、櫛御気野命)、石神社(布都御魂命)、稲荷神社(倉稲魂命)の石祠が説明付きで立っています。拝殿の天井絵が見事で、本殿の彫刻もすばらしいものです。
優れた職人による見事な透かし彫り!もう創れないでしょう。
旧社格不明。玉村八幡宮の元宮とか。
| 名前 |
角渕八幡宮 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
0270-65-2305 |
| 評価 |
3.1 |
| 住所 |
|
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