宝登山神社と繋がる別当寺。
玉泉寺の特徴
宝登山神社とつながり、境内が自然に溶け込む場所です。
有名な天井絵や見事な彫刻が魅力的な本堂があります。
山門裏の木製の灯篭は、参拝時に必見の素晴らしさです。
社務所にて、本堂の見学の断りを言えば、中に入れます。本堂までは、まぁ!見事ですね!拝観料無しで、見れるのは、良かったです❗(^_^)y-゜゜゜゜゜
神仏習合の頃の別当のおられた寺院だったのでしょうか?
天井絵が有名です。宝登山と共にあるお寺です。
神社側と繋がってました。お寺ですが日本武尊にゆかりがあるようです。
山門裏の木製の灯篭がすばらしいので、参拝のときぜひご覧ください。御幣のついた灯篭は珍しいと思います。
玉泉寺は「宝登山神社の管理寺」でしたので昔は同じでした。以下に寺の説明板があったので読み出しました。神社にはきれいな彫刻がたくさん見えます、寺の方もすごいだろう!と思っていますが、時間無く入口を少しのぞくだけとなりました。本堂は文政12年(1829)の再建なので、欄間彫刻(高野山開創等)も同年と思われます。ーーーーーーーーーーーーーー玉泉寺の沿革平安時代の永久元年(一一一三) 僧空圓は、日本武尊が山頂にて神霊を奉斎し、弘法大師が来錫のおり、宝珠の山頂に向かって飛翔した神变に感応され、仏庵を営んだとも伝えるこの地こそ、仏堂建立に相応しい地とされ「玉泉寺」を開基した。現在、真言宗智山派に属し「会慶山」と号し、本堂には寛文七年(一六六七)造立の地葳菩蕯を本尊と安置し、現在境内には 護摩堂、十王堂 (墓地內)、鐘楼(鐘は大東亞戰の金属供出にて現存せず・鐘楼は平成二十九年暴風雨により倒埭)、「仁義」の額を掲げる山門などの施設が建てられている。開基以来、「玉泉寺」住戰は別当として「寶登山大神u003d宝登山大権現」の神にも仕え、 神仏を共に敬い祀るその関係は明治(一八六八) の「神仏分離令」が出されるまで続いた。歷代住職のなかでも江户末期、第四十六世栄乗は、京都御室御所の院家格を赐わり寺格を高めると共に、寶登山講社組織を拡充し、弘化四年(一八四七) 熊谷宿石原に「宝登山道 江户講中初登山」の遺標を建て、また神社社殿再建事業を推し進め現社殿を建立し、今日の神社の礎を築いてきた。明治初年、寺と神社はそ扎ぞれの教を説く宗教活動を行なうこととなるが、今でも一つ境内の如く、寺と神社はお互いに補完しあう関係を保ちつつ、手を携え、渋沢栄一翁奔が「宝登山は千古の霊場」と称えられた宝登山を守っている。現在の本堂は江戸後期の再建と伝えられ、格天井に描かれた飛天図 (二十五面)をと弘法大師一代記 (十二面)、十六羅漢、 孔門十哲の欄間彫刻は町指定有形文化財になっている。(寺の説明板から)
宝登山神社とつながっているので、いつの間にかここのお寺の境内に無いっていることに気が付きました。
こちらには、御朱印は、ありませんでした。
本堂の彫刻は、見事なものでした。社務所に声をかければ、本堂に上げてくれます。本尊は、地蔵菩薩です。欄間の部分には、お大師様の一生が、彫刻により表されています。天井の絵も素晴らしいものでした。
名前 |
玉泉寺 |
---|---|
ジャンル |
/ |
電話番号 |
0494-66-0042 |
住所 |
|
評価 |
4.0 |
周辺のオススメ

宝登山神社の隣にある別当寺です。