貴船神社で歴史を感じる旅。
貴船神社の特徴
貴船神社は729年創建、由緒ある神社です。
主祭神には高龗神命や闇龗神命がいます。
熊野三社太神や稲荷太神も祀られています。
旧村社。御祭神:高龗神(たかおかみのかみ)、闇龗神(くらおかみのかみ)。資料によると、「用土村誌」には、創建を天平元年(729)3月と伝える。延暦年間(782〜806)鎮守府将軍坂上田村磨東北地方平定に際し、この地に立ち寄り土質の適したるを賞し土偶を作るに此の土を用いたり、因って『淀』を改めて『用土』となすとある。江戸期には元禄年間(1688〜1704)に神祇管領の執奏により正一位に叙せられ、安政2年(1855)には「藤田神社貴布禰大明神」の社号を授けられる。明治初年村社に列せられ、明治42年1月22日「神饌幣帛料供進神社」に指定された。とあります。奈良時代創建と伝えられていて、山の上の龍神と谷の陰の龍神である二柱の水の神様が御祭神であり、京都の貴船神社(貴布禰大明神)から勧請されたのは想像されますが、当時この辺りでそれ相当の豪族の存在をはかり知ることは出来ませんでした。それでも寄居町用土村の歴史は古く、弥生時代中期の用土・平遺跡や古墳後期の谷津古墳群などが見られるそうです。古の資料に地名を、『淀』を改めて『用土』にするとある様に、この辺りは櫛引台地にあり、荒川によって作られた古い扇状地が浸食されてできた沖積台地であり、それは寄居付近を頂部としているとある様に、北へつづく台地にあって河川の助けもなく、まさに淀んでいて古くから水利が悪く、数年に一度しか田植えができなかったとつたえられているそうです。このため降雨を祈る「お水迎え」が盛んに行われ、榛名講として榛名神社で竹筒に水をもらい受け、氏子がたらいにあけさらに地場の水を加えて各子に配り、耕作地にまくと黒雲が現れ、雨の恵みがもたらされたという話が残っていて、まさに水の神様を祀った背景があります。近年になってダム湖・円良田湖の用水を、用土地区に円筒分水工やファームポンドを造成し、灌漑に活用する様になったそうです。尚、当社の鎮座地は寄居町立用土小学校のすぐ東になります。
729年か782〜877年に建てられ、正一位ですから由緒ある神社です。しかし、今は人影もなく、村の鎮守といった感じです。所在地は「用土」ですが、坂上田村麻呂が土偶を作るのに適している賞したので、この地名になったとか。児玉や美里には、東夷征伐の際に立ち寄ったという坂上田村麻呂がよく出て来ます。
氏子の役員をした神社です。😍
旧社格不明だが、立地や建物から村社格くらいに見える。古びた神社。
名前 |
貴船神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP | |
評価 |
3.0 |
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貴船神社(貴布禰大明神)主祭神 高龗神命 闇龗神命摂社 八坂太神 五社太神(天照大神・倉稲魂神・埴安媛神・少彦名神・大己貴神) 菅原太神 浅間太神 雷電太神末社 熊野三社太神(北前郷地) 小島稲荷太神(字小島) 稲荷太神(字新堀) 北向神社(字平)由緒用土村の鎮守の貴船神社の創建は、「用土村誌」には天平元年(729)三月とあります。「村社貴船神社誌」では、貞観年間(859~877)のこととなっています。延暦年間(782~806)坂上田村麻呂東夷征伐に際し、この地に立ち寄り、土偶を作るために土質が適していることを賞して、「此の土を用いたり、よって淀を改めて用土となす」とあります。元禄年間(1688~1704)に神祇官領の執奏により正一位に叙せられました。文化・文政期(1804~1829)に編纂された「風土記稿」には、「貴船神社 村の鎮守なり 末社天王・八幡・天神・八大竜王・金毘羅 別当不動寺 当山派修験 江戸青山鳳閣寺の配下 貴船山と号す 本尊不動」とあります。安政二年(1855)には「藤田神社貴布禰大明神」の社号を授けられました。明治初年村社に列せられ、明治四十二年(1909)一月二十二日「神饌幣帛料供進神社」に指定されました。境内内神には、青面金剛神・明仙元大菩薩・庚申・天神宮が祀られています。境内北西隅に建つ「方水庵梅布翁碑」は、幕末から明治にかけて用土で活躍した芭蕉派の俳人・方水庵を顕彰した碑です。(境内案内板より)