中久保宿の北、観音寺で心静かに。
中久保宿の北側の山裾にある観音寺は、真言宗智山派の寺院で、京都の智積院の末寺だそうです。本尊は聖観音です。かつては、依田川の畔にあったのだとか。寺の開基は1449年で、覚信という高僧によるものだと伝えられています。場所は不明です。その後、戦国末期の1600年、領主の真田家に願い出て、依田川の畔にお堂を建てて、松尾山福応寺と称したのだそうです。観音寺の山号は「松尾山」ということは、松尾神社と何か関係があるのでしょうか。初期の松尾神社と結びついていたのでしょうか。しかし、私の知る限り、それに関して史料はないようで関係は不明です。寺が史料の登場するのは、1449年に覚信という僧都が開基したということだけで、場所がどこだったかはわかりません。そして、1600年、領主の真田家に請願して依田川の畔にお堂を建て、名称を松尾山福応寺としました。が、1629年の洪水で流されてしまい、3年後に現在地に移転し、観音寺と改称したそうです。この寺の第7代住持の弘慧は、高徳の僧侶で大日堂や護摩堂などを建てましたが、1710年(宝永7年)に食を断って地中に石室にこもって入寂したのだ伝えられています。現在、境内には3つの小さなお堂がありますが、それらが弘慧が造営したお堂が起源なのでしょうか。境内の小堂の脇に宝篋印塔があって、そのなかに1710年(宝永7年)の銘を刻んだものがありますが、それは弘慧の遺徳を偲び菩提を弔うものなのでしょうか。また、本堂の須弥壇奥には木造の地蔵菩薩立像があって、それは本山の智績院から贈られたものだとか。地蔵菩薩像は、平安後期に真言宗中興の祖とされる興興大師の姿になぞらえた千体仏のひとつだとも言われています。
名前 |
観音寺 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
0268-68-2822 |
住所 |
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評価 |
3.3 |
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駐車場は5台分ほどありました。誰もいながお地蔵さんなどはキレイに手入れされていました。