白い鳥居の高松神明神社、歴史の響きと水琴窟を楽しむ...
高松神明神社の特徴
あの姉小路通から少し西にある、高松殿の鎮守社です。
白い鳥居が目立ち、真田幸村ゆかりの地蔵尊が祀られています。
水琴窟の音が響く手洗い場があり、参拝者を癒します。
姉三六角……でお馴染み、姉小路通を烏丸通から少し西に歩けば、こちらにも藤氏(あるいは源高明氏)ゆかりの場所が。歩けども歩けども、京は知らなかった歴史的場所に出逢う。
令和四年 新緑の京都散策 5月27日高松神明神社住宅街にある小さな神社です(^^)
開運厄除の神(高松殿旧跡)醍醐天皇の十番目の皇子、高松親王が7歳のとき920年に高松殿をの造営。同時に伊勢から天照大神を御観謂になって、鎮守の社としてお祀りになった歴史をもちます。1100年あまりの歴史をもちます。高松殿は、鎌倉時代後期には廃宮となり、神明神社のみが残されたそうです。御祭神天照大神 八幡大神 応神天皇 春日大神天児屋根命地蔵尊真田幸村の念持仏わ拝領してもちかえり、地蔵堂を建て、『幸村の知恵の地蔵尊』としておまつりされたそうです。地蔵堂の台石をさすり、頭をなでると知恵をさずかると信仰されているようです。御朱印 有 書き置き。
御朱印が頂ける神社。書置のものが頂ける。色の違ったさまざまな御朱印も頂ける。本殿前のケースの中に入っているものを頂く。御朱印にあるとおり鎮座1100年だそうです。境内にある真田幸村の念持仏は必見。その傍らに水琴窟があります。
京都府京都市中京区 釜座東入津軽町790にある里内裏になった神社です。当社は「高松殿の旧跡にして、御鎮守の御社なり」と古記録にあります。平安初期、醍醐天皇の皇子高明親王が七歳の時、源朝臣の姓を賜り、左京区の一条一坊に源高明公の御殿として高松殿を造営、同時に伊勢から天照大神を勧請し、鎮守の社として祭った社が当社の初めであるそうです。高明公の娘明子が藤原道長と結婚し、高松殿を住居としました。その後、後白河天皇がここで即位、御所(里内裏)として使われています。境内には宥玉法印が、紀州九度山の伽羅陀山に安置してあった真田幸村の念持仏を拝領してきた神明地蔵尊「幸村の知恵の地蔵尊」があります。アクセス\t京都バス61・62・63「新町御池」下車、徒歩2分地下鉄烏丸線「烏丸御池」下車、徒歩5分。
高松殿址を訪ねて来たら、駒札にこの高松神明神社はかつては高松殿の鎮守社だったと書かれていました。歴史のある神社のようですね。なんの気無しに境内を散策していたら、真田信繁(幸村)の念持仏なる地蔵を見つけました。これは全くの予想外でした。京都は本当にこのようなスポットが数多くありますね!それはそうと今年2023年の大河ドラマ「どうする家康」では大坂の陣で家康を追い詰める真田信繁は誰が演じるのでしょうか?過去の大河ドラマでは「秀吉」で豊臣秀吉を演じた竹中直人さんが「軍師 官兵衛」でも秀吉を演じたように、同じ役者が同じ役を演じることがよくあります。なので「真田丸」の時に信繁を演じた堺雅人さんが再び真田信繁を演じるというのもありかもしれませんね。
真田幸村の縁の神社です。白い鳥居が綺麗です。
ここの手洗い場の水の音が凄いです。インドや仏教の曼荼羅のお経のような。あの世や三途の川、死後の世界のような。白い三本鳥居⛩に祀られてるのがお地蔵様。そういった場所かも知れません。そして不思議な体験がありました。参拝した直後になにもないなって思ったら自転車のランプが落下してガシャンガシャンと散らばりました。まるであるよ。って言われたような不思議な感覚に陥りました。僕は特別スピリチュアルとかパワースポットとかそっち方面にハマってるわけでもなく、そういった理由で神社に訪れる事はないので不思議です。
姉小路通釜座交差点を東に行った北側にあるのが「高松神明神社」になります。白い鳥居が目立ちます。鳥居前には「此附近高松殿跡」の石碑と駒札、境内にある神明地蔵尊の案内板があります。高松神明神社は、かってこの地にあった高松殿の御鎮守の御社との事でした。ご本殿の左側には真田幸村の念持仏を拝領してきた神明地蔵尊「幸村の知恵の地蔵尊」があります。御朱印は数種類用意されています。
名前 |
高松神明神社 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
075-231-8386 |
住所 |
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評価 |
4.2 |
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京都の姉小路釜座近くにある神仏混淆の御社。小さいながら落ち着ける空間。