歴史感じる道標たち。
金沢横町道標(4基)の特徴
東海道と金沢道の分岐点に位置する道標が魅力です。
江戸時代から続く交通の要衝を感じる場所です。
状態の良い四基の石碑が整然と並んでいます。
東海道保土ヶ谷宿刈部本陣の江戸方200m、東海道本線保土ヶ谷駅から300m程の所に金沢八景や鎌倉への追分がある。東海道から金澤道・東浦賀道の起点である。ここに4基の道標が残されていて往時を偲ぶことができる。説明板に記されていることを、右側の大きい道標から順に記していきたい。① 円海山之道天明3(1783)年造立で左面に「かなさわ かまくらへ通りぬけ」と刻まれている。② かなさわ かまくら道天和2(1682)年造立で左面に「ぐめうし道」と刻まれている。③ 杉田道文化11(1814)年造立で、正面に「程ケ谷の枝道曲がれ梅の花 其爪」と刻まれている。句碑を兼ねた道標は珍しい。④ 富岡山芋大明神社の道弘化2(1845)年造立。芋明神は富岡の長昌寺で疱瘡の守り神として信仰を集めていた。(写真は口コミ投稿後いつの間にか消えてしまう)
東海道と金沢道などとの分岐点に4つの道標が置かれている。・円海山之道・かなさわ、かまくら道・杉田道・富岡山芋大明神社の道。
歴史を感じる4本の石碑が建っています。文字は判別できないほど風化が進んでいます。
江戸時代、もっと古くから保土ケ谷の地は交通の要衝であり、人の往来が盛んであったことがしのばれます。
東海道と金沢道の分岐点。京都方面へ向かうなら直進、金沢八景を見るなら左へ。保土ケ谷宿は全体的にしっかり史跡の整備をされているように思える。こちらも石碑を集約したきれいな屋外展示になっている。多くの歴史上の人物がこの地を通ったと思うと感慨深い。
この地は、旧東海道と金沢・ 浦賀往還「かなさわかまくら道」の交差点で金沢への出入口にあたるため通称「金沢横丁」と呼ばれていたそうです。金沢・浦賀往還には、弘明寺、円海山、杉田、富岡などの信仰や観光の地が枝道にあるため、道標として四基が建立され現在も残っています。
金沢、鎌倉への分岐点江戸を出た吉田松陰は、浦賀に来航した黒船を観にここを左に曲がって向かったと思うと面白い。私の記憶が間違っていなければ確か、桑名藩がこの辺の警備を担当していたのではないかと思う。
東海道保土ヶ谷宿刈部本陣の手前200m、東海道本線保土ヶ谷駅から300m程の東海道沿いに金沢八景や鎌倉への追分がある。ここに4基の道標が残されていて往時を偲ぶことができる。説明板に記されていることを、右側の大きい道標から順に記していきたい。① 円海山之道天明3(1783)年造立で左面に「かなさわ かまくらへ通りぬけ」と刻まれている。② かなさわ かまくら道天和2(1682)年造立で左面に「ぐめうし道」と刻まれている。③ 杉田道文化11(1814)年造立で、正面に「程ケ谷の枝道曲がれ梅の花 其爪」と刻まれている。句碑を兼ねた道標は珍しい。④ 富岡山芋大明神社の道弘化2(1845)年造立。芋明神は富岡の長昌寺で疱瘡の守り神として信仰を集めていた。
今に残る、昔の道しるべ。
名前 |
金沢横町道標(4基) |
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ジャンル |
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住所 |
〒240-0013 神奈川県横浜市保土ケ谷区帷子町2丁目71 |
評価 |
3.7 |
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