悲運の武将、畠山重忠の古戦場。
畠山重忠古戦場跡の特徴
二俣川の戦いの古戦場跡で、畠山重忠の終焉の地です。
鎌倉武士の鑑、畠山重忠公が討ち死にした戦場を訪れた。
毎年開催される慰霊祭で、重忠公をしのぶ文化が息づいています。
源頼朝公に忠義を尽くし、鎌倉武士の鑑と言われた畠山重忠公率いる精鋭134騎と、北条氏(鎌倉軍)数万騎が激突した古戦場です。畠山重忠公は、舅(しゅうと)である初代執権・北条時政公から、あらぬ謀反の嫌疑をかけられました。そして畠山氏は北条氏の謀略により、挙兵とみなされる方向に誘導され、それを受けた北条氏(鎌倉軍)も大軍をもって挙兵しました。(確か「他の謀反人の討伐が有るので、畠山殿も戦支度をして鎌倉に参集されたし」という執権北条からの命)数万騎対134騎…多勢に無勢です…しかしながら畠山重忠公は家臣からの「いったん自領に退きましょう」という進言に、「退けば謀反を認める事となる」とし、「潔白を証明する為には…この戦受けて立つべし」と一族郎党に玉砕覚悟の判断を下し鼓舞しました。これにより、源頼朝公亡き後の鎌倉幕府権力闘争に巻き込まれた畠山氏は、北条氏にお家滅亡に追い込まれ、畠山重忠公はここに享年42歳の生涯を閉じました。鎌倉時代の当時、激しい戦いの有った場所ですが、今は多くの現代人がせわしなく往来する場所となっていました。数万騎の大軍にわずか134騎でも臆する事無く突き進んだ、畠山重忠公の武勇に静かに手を合わせて参りました。
畠山重忠終焉の地を示す記念碑があります。旭区役所の道を挟んだ向かいにあり、相鉄鶴ヶ峰駅から5~10分位の場所にあります。付近には、ここ以外にも畠山重忠ゆかりの史跡がいくつかあります。
畠山重忠公終焉の地のようですが、旭区役所前で厚木街道と水道道の交差点脇で落ち着く雰囲気は皆無です。さかさ八竹のあたりまで奥に行くと若干静かめになる感じです♪
2022年大河ドラマ、鎌倉殿の13人のお陰で畠山重忠を知ることが出来ました。バイクで来ましたが車、バイクを停める場所はありませんのでご注意を。
悲運の武将、畠山重忠が北条義時と戦って命を落とした古戦場。周辺は万騎が原などゆかりの土地や首塚、薬王寺などの史跡も数多く残ります。数少ない旭区の観光スポットであり、元地元民としては2022年の大河ドラマ・鎌倉殿の13人で、ゆかりの地として注目を浴びることを期待しております。二俣川古戦場と名前がついていますが最寄りは鶴ヶ峰駅から徒歩5~6分で、車だと交通量の多い厚木街道と水道道の交差点の角にあり駐車は難しいので、有料ですが近くの旭区役所駐車場に止めて近隣を散策するのがいいかと思います。
鎌倉幕府で、源頼朝に最も信頼された忠臣⋅畠山重忠公が、頼朝亡き後1205年初代執権⋅北条時政の策謀により討ち死にした戦場です。
ここ、畠山重忠公終焉の地です、愛甲三郎の矢に当たり戦死した、重忠公は、鎌倉幕府執権北条時政に、より滅びました。
NHKで見て、ここだったとは六ツ塚がある薬王寺では、毎年6月22日に重忠公和讃や重忠節踊りの奉納などで畠山重忠をしのぶ慰霊祭が開催。
鎌倉時代、有力武将であった畠山重忠が、幕府内の権力闘争に巻き込まれ、北条氏中心の幕府軍とこの地、鶴ヶ峰において合戦、討死にした。
名前 |
畠山重忠古戦場跡 |
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ジャンル |
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電話番号 |
045-954-6091 |
住所 |
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評価 |
3.8 |
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二俣川の戦いの古戦場跡であり、畠山重忠の終焉の地である。素人目にはもう少し情報を整理したほうが良いのでは?と思った。