曲尺太子が見守る大工技術。
番匠堂の特徴
聖徳太子を祀る番匠堂は、大工技術の始祖として信仰されています。
曲尺を携えた聖徳太子の姿は、特に大工にとっての崇高な存在です。
幟にはノコギリや金ヅチで書かれた文字があり、技術の大切さを感じられます。
宮大工の技術が今後も継承されるようご記念いたしました。
番匠堂は、日本における大工技術の始祖として、番匠(大工)達から尊崇されている聖徳太子を祀り、曲尺(かねじゃく)を携えたそのお姿より、世に曲尺太子と称される。四天王寺は推古天皇元年(593年)に、聖徳太子が鎮護国家・済世利民のご請願により創建され、その際、伽藍建立にあたり、百済国より、最新の番匠の技術を招来された。また、聖徳太子は七堂伽藍の建立にはやむを得ず大地の産物の命を絶ってしまうので、金槌(かなづち)・鋸(のこぎり)・錐(きり)などに仏性を入れて、番匠器(大工道具)で「南無阿弥陀仏」の名号を書かれ、大工の工事安全と伽藍の無事建立を祈られたと伝えられています。
幟の一文字一文字に、ノコギリや金ヅチなどで文字が書かれてありました。素晴らしいデザインなので大発見した気分でした。
聖徳太子は大工の始祖とされ、関係者の信仰を集めています。世界最古の企業、金剛組も元々は四天王寺専属の宮大工です。
この御堂は、日本における大工技術の始祖として番匠(大工)達から尊崇されている聖徳太子を祀る。曲尺を携えたそのお姿より、世に曲尺太子と称されている。四天王寺は推古天皇元年(五九三)に、聖徳太子が鎮護国家・済世利民のご請願により創建され、その際、伽藍建立にあたっては、百済国より最新の番匠の技術を招来された。又、聖徳太子は七堂伽藍の建立にはやむをえず大地の産物の命を絶ってしまうので、金槌・鋸・錐などに仏性を入れて、番匠器(大工道具)で「南無阿弥陀仏」の名号を書かれ、大工の工事安全と伽藍の無事建立を祈られたと伝えられている。文化国家日本の先駆けとなった四天王寺伽藍の建立は、聖徳太子並びに番匠の人々の叡智とたゆまぬ努力の賜物であり、その偉業を顕彰し、併せてあらゆる建築にたずさわる人々の守護の為、ここに番匠堂を建立するものである。
大工技術の始祖として聖徳太子を祀る。曲尺を携えていることから曲尺太子(かねじゃく)といわれる。
名前 |
番匠堂 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP | |
評価 |
4.0 |
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四天王寺建立は(法隆寺もそう)、日本の建築技術を進歩させた。教えてもらってやって見なければ、技術は身に付かない。日本の大工技術の始祖として大工(番匠)たちから、尊ばれている聖徳太子を祀っている。大工道具の貴重さと工事の安全に関して願いを託している。