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名前 |
植木屋吉助店跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.0 |
元禄5(1692)年に創業し明治末期まであった植木屋で、その敷地は三千坪に及んだ。和漢の名木にあふれ、特に吉助牡丹は有名で、船便で全国に発送し、その名声は江戸の植木屋にも匹敵するものであった。高津宮の西側にあった植木屋で、名水で知られた「二井(ふたついど)」の東に位置してたことから「摂津名所図会」には「二井」の図の上に描かれている。初代吉助が元禄5(1962)年に創業し、大坂における植木屋の草分けであった。3000坪ほどの広大な敷地には、初夏の牡丹、晩秋の菊などのために花壇が設けられ、観賞用の座敷や四阿も建てられており、庭園のような景観を呈していた。そのため遠近の見物客で常に賑わっていた。また、和漢の名木を多く植え、それを船で各地に発送しており、「植木屋吉助」の名は江戸まで聞こえていた。明治に入ってからは松井吉助と名乗って植木商を行なっていたが、明治の末期に廃業した。