北畠顕家公の歴史を感じる。
北畠公園の特徴
北畠顕家の御廟があり、歴史を感じる場所です。
江戸初期の国学者が関与した歴史的な公園です。
桜の時期には美しい景観が広がります。
何もないが子供の頃友達とよく遊びました。お墓周りは怖くて近づけなかった記憶があります。半世紀前の思い出の場所です。
公園にトイレがあるかないかは広さによるのだけど、やっとの思いで公園にたどり着いた際、トイレがなかったら人はどんな顔するんだろうか→(´*ω*`)こんな顔だろうか。公園を舞台にした世にも奇妙な物語を作ってって無茶振りされてベンチで試行錯誤しながら思考する人とかいたら親近感わくのになぁ。公園がお相撲さんで埋め尽くされるとか、公園から出られなくなるとか、公園のすぐ隣が公園で公園迷路になってるとか…なんにせよ、いい天気だなぁd(*´ェ`*)
遊具は一つしかありませんが、プチ体操ができる用具とベンチがありプチ休憩できます。桜が綺麗に咲いていて、癒されます。
公園ではありますが、どちらかと言うと北畠顕家(きたばたけあきいえ)公のお墓が主役な場所です。敷地内には顕家公の墓地のほか、「顕家会館」なる小さな建物や、昭和初期に史跡公園としてこちらの公園を作った経緯が記された説明文が掲げられています。
「神皇正統記」を著した北畠親房の長男で元徳2年(1330年)13才で左中弁となり15才未満で弁官に任せられるという先例を開き14才で参議で左中将を兼ねるという空前の昇進を示した、顕家の墓は現在の王子町「北畠公園」に所在する「大名塚」と呼ばれていた塚を江戸時代の国学者並川誠所が北畠顕家の墳墓と比定した事により当地周辺を顕家戦没ゆかりの地として顕彰したもので現在の歴史観から見れば事実誤認がある様だが園内の碑文に依ると大正、昭和と篤志家等の寄付により基地の整備等が図られ現在に至ります。
コロナ禍の緊急事態宣言の息詰まる生活から開放してくれる大切な場所です。
北畠顕家公の御廟があります(‐人‐)
公園ですが地名と成っている北畠家に縁の公園で北畠公の墓と石碑も有り歴史を感じる。遺跡や史跡の有る公園は多いが墓の有る公園は珍しいです、今は墓所と言うよりも地域で親しまれている公園の役割が大きいです。これからも北畠公の墓と共に地域に親しまれて行くだろう。
江戸初期の国学者・並河誠所がこの地にあった大名塚を北畠顕家の墳墓と比定した。この塚にちなんだ町名の地元有志が塚周辺の土地を購入し、大阪市に寄付し、史跡公園としたのが1939年のようだ。21/03/15、阿倍野神社にお詣りした際、教えてもらったが、観光地とは言えないまでも、こういった歴史の断片が身の回りに残されることは大事なことだと思う。大阪市内幹線道路のひとつ、阿倍野筋に面しており、ふっと息を抜くにはいい場所だった。
| 名前 |
北畠公園 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
| 評価 |
3.7 |
| 住所 |
|
周辺のオススメ
子供と散歩がてら遊ばせる場所にはいいんではないでしょうか。