坐摩神社の神聖な空気。
坐摩神社行宮(楼ノ岸砦跡)の特徴
熊野詣の出発点として新しく整備された美しい神社です。
織田信長による楼の岸砦が築かれた歴史的な地です。
神功皇后伝承を持つ聖地で、静かな空間が広がっています。
熊野詣の出発点だそうです。渡辺の姓はここが発祥とか。
令和五年、2023年4月にお社が新しくなりました。向かって右側にセンサー式のお手水があり、神功皇后鎮座石が恭しく祀られています。お宮の中に入る事は出来ませんが、窓の一部が空いており、その隙間からお賽銭を納めることが出来ます。
改修工事がやっと終わり全て新しくなってキレイになっています。お賽銭は本殿の中にありますが、投げ入れることは出来ます。
かつてこの辺りを『楼の岸』と呼ばれていたそうで、石山合戦の際、織田信長によって『楼の岸砦』が築かれたのがこの辺りだそうです。天正14(1586)年、蜂須賀(小六)正勝が邸宅で死去したのも、この『楼の岸』だそうです。
本宮参拝の折に、遷宮の由来を知って伺いました。
1583年(天正11年)豊臣秀吉の大阪城築城に際し城主にあたる為、現在地の大阪市中央区久太郎4丁目に遷座したがそれ迄は当地が鎮座地であった、社伝によれば神功皇后が新羅より帰還の折此の地に坐摩神を奉斎され当地に有った石の上に休息したという、地名の石町の由来はこの故事に基づいたとの説も有る。
摂津國一宮 坐摩神社の元宮。大阪市内にあって、境内は、ホッとできるおだやかな雰囲気に包まれています。
坐摩神社(いかすりじんじゃ)の行宮(あんぐう=御旅所(おたびしょ)、祭りの時に「久太郎町四丁目渡辺」より「坐摩神社」の神輿(しんよu003d御輿)が訪れる地。「坐摩神社」の社伝によると16世紀末に、豊臣秀吉が「大坂城」を築城する際に曲輪(くるわ=城の城域のこと。塀や柵で円く囲われていることを指しています。)にあると不都合ということで、付近に存在していた「高津宮(こうづのみや)」「生國魂神社(いくくにたまじんじゃ)」などとともに遷座(せんざu003d移転)させたことから、現在地に移った。その後、「行宮」として復活したものと考えられます。このことから、この地の北側の土佐堀川沿いに「渡辺津(わたなべのつ)」があったことが推定されます。大阪に造営された古代の都「難波宮(なにわのみや)=難波京」に付随する古代の中心港「難波津(なにわづ)」(現高麗橋周辺に推定)が河川からの土砂で埋まり、消滅する中で、替わって港湾機能を担ったのが「渡辺津」です。その利益に預かろうと平安時代に「酒呑童子(しゅてんどうじ)」や「茨木童子(いばらきどうじ)」の鬼退治で知られた源頼光(みなもとのよりみつ)の配下の源綱(みなもとのつな)が進出してきて、「渡辺綱(わたなべのつな)」と名乗り、「渡辺氏」の祖となった。※「坐摩神社」では、「行宮」の改築が計画されていて、奉賛金を募集されています。「渡辺」さんは、ご自分のルーツのために協力されてはいかがでしょうか。
こちらは、神聖な空気の場所です。都会の中にあるとは思えない。
名前 |
坐摩神社行宮(楼ノ岸砦跡) |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
06-6251-4792 |
住所 |
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HP | |
評価 |
4.1 |
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凄く綺麗に整備されてました。