道修町で薬の歴史を学ぼう!
大阪市くすりの道修町資料館の特徴
道修町の歴史を学べる、貴重な資料が充実しています。
少彦名神社の隣、神薬の神様を祀る神社の近くにあります。
無料で見学できる小さな資料館、映像体験も楽しめます。
少彦名神社の隣にあります。黄金の虎が目印です。
お薬の神様が祀られているお隣の少彦名神社や薬の町になった道修町と日本の製薬の歴史などビルの一室とは思えないボリュームの資料館です。観光地ではないので目立たないしワイワイするところでもないですがササッと見れますので参拝するときに是非一緒に立ち寄りましょう☺️
小さな資料館ですが、道修町の歴史、日本の製薬業の歩みを知ることができます。料金はかかりません。根付も展示されています(山田先生の代表作も必見です)。
少彦名神社の社務所ビル(隣)3階にあり、入場料無料です。薬の歴史、道修町の歴史をうかがい知る事が出来る大変貴重な資料館だと思いました。有り難うございました。
大阪の難読地名のひとつである道修町(どしょうまち)は、どうして“くすりの町”とよばれるようになったのかと言いますと道修町を含めた船場地域は、豊臣秀吉が大阪城の三の丸を築城する際、そこに住んでいた町人や寺院を強制的に移し新しく城下町として開発されたとされています。道修町がくすりの町と言われる様になったきっかけは、寛永年間(1624~1644)に堺の商人小西吉右衛門が道修町1丁目に薬種屋を開いたこととされています。やがて、1722(享保7年)、八代将軍徳川吉宗は道修町の薬種中買仲間 124軒を 株仲間として、中国から輸入された唐薬種や日本で採れる和薬種の適正検査をし、値段を付け全国に売り捌く特権を与えました。神農さん”で親しまれている道修町の少彦名神社の地は、江戸時代、薬種中買仲間の寄合所(事務所)でした。そのため、およそ300年前からの文書が保存され大塩平八郎の乱や、大阪の大空襲などの災禍からも免れ、現在まで伝えられてきました。1997(平成9)年、「道修町に関する諸資料を町全体で保存し、公開しよう」と神社の社務所ビルの3階にくすりの道修町資料館が開館されたといいます。また、堺筋と御堂筋の間300メートルに医薬品に関する展示施設があり、「道修町ミュージアムストリート」とよばれている、道修町通りがあります。製薬会社の本社があり、無料で展示室を公開されています。アクセスは、JR大阪駅🚉から阪神百貨店🏬の前を通り東梅田駅🚉から、谷町線にのり、次の南森町下車し、堺筋線に乗り換えて、次の北浜駅🚉下車、1分です。
インバウンドの人を初めて見かけました。隣りの少彦名神社 千年の長生を願って、、参ってきました!
土曜日は完全予約制でした、、、、入れず。
予約制です。係の方が丁寧な說明をされます。人体模型のハイテクなのが進化を感じました。
ビルに囲まれた小さな神社です 有名でたくさんの人が来てます 11月にある神農祭にいってみたいです 製薬会社のゆるキャラパレードがあるらしいです。
名前 |
大阪市くすりの道修町資料館 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP | |
評価 |
4.1 |
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こじんまりとしていますが、くすりの町である道修町の歴史が学べます。