歴史を感じる茅ヶ崎一里塚。
茅ヶ崎一里塚の特徴
江戸時代から残る茅ヶ崎の一里塚です、歴史と文化を感じます。
街中に位置する史跡で、ポケモンバトルにも活用されています。
東海道を起点に発展したなごりの松が、風情を添えています。
交差点にある史跡です。一里塚は1604(慶長9)年に東海道の起点であった江戸の日本橋から一里ごとに設置されたものです。茅ヶ崎の一里塚は14番目のもので大正末年頃までは道の両脇にありましたが道路の拡幅のために南側のみは残っており18世紀半ばの一里塚の記録には「右の塚は松の木で、左の塚には榎が植わっている」と記されています(ΦωΦ)
歴史を感じます。良い目印です。
東海道一里塚。松の並木もあり昔日の様を残しています。
茅ヶ崎の一里塚。南塚が江戸時代から残っています。江戸日本橋より14里目。やはり昔から残っている一里塚は素晴らしいですね。
ポケモンバトルです〰️
江戸時代から残る一里塚。見るだけで歴史を感じる。
史跡のようですが、どこが史跡なのか分かりませんでした。
昔の面影はないし車で通ると見逃してしまいますが一里塚がしっかり残っています。ただ、最近この向かいで痛ましい事故が発生…。ドライバーは安全運転で過ごしてほしいものです。
東海道中にいくらもあった一里塚だが、多くは取り壊されて跡形もない中、これは江戸日本橋から14個目のもので、貴重です。一里塚の交差点の角に、こんもりとした塚が築かれ、目印になる松の木が植えられております。
名前 |
茅ヶ崎一里塚 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.5 |
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徳川家康は関ヶ原の戦いの翌年、慶長六年(一六〇一)東海道に伝馬の制を制定し以後江戸を中心とした交通鯛の整備にとりかかりました。慶長九年(一六〇四)・徳川幕府は東海道などの一里塚(約四キロ)ごとに塚を築き旅人の目安にしました。※東海道は江戸の日本橋を地点にしています。茅ヶ崎の塚は日本橋から十四番目にあたります。かつては道の両側にありました。