湯浅宗重の城で、歴史を感じる眺め。
岩室城跡の特徴
美しい眺めが楽しめる歴史深い岩室城跡です。
湯浅宗重が築城した由緒ある史跡です。
平忠房が籠った舞台としての歴史を感じられます。
鎌倉〜室町時代に築かれた城砦で、ゲーム『信長の野望』にも紀州の城として度々登場していました。険しい急斜面に守られながらも岬のように突き出した山の山頂にある事で四方に展望がきき、山下には肥沃な土地が広がり兵糧確保が容易であったことが伺え、南には有田川が山に挟まれる形で西へと流れ『大山崎と天王山』の位置関係とよく似た地形であり、立地、地形共に好条件が揃った山城だった事が伺えます。岩室城址碑を中心に三段曲輪の二の丸、空堀を挟み北西に同じく三段曲輪の本丸が西南西に向かって築かれていました。『紀州名所図会』に「・・・湯浅氏の築きし岩むらという城あり。」と、湯浅氏の築城と記されていますが、最初に築いたのは誰なのかわかっていません。また、同書には「この山巌むらがりて、実に石むらといふべき形勢なれば、むろはむらの訛りなるべし。」と、岩室の語源とも思える記述がありました。中世より動乱や内紛などがあったが、天正十三年(1585年)十万余の大軍を率いた豊臣秀吉の紀州征伐において、有田の土豪の白樫氏が、岩室城主畠山氏の再興を約束する事を条件に内応するという提案が秀吉に受け入れられ、神保氏白樫氏宮原氏などが内応、白樫氏が城に火を放ち陥落したと伝わっています。
下から歩いて行きました。程よいハイキング。隣町の人間ですが意外といってない人も多い。こんないい場所なのにもったいないけど、しろあとを独り占めできるので、いい感じです。頂上は、桜の木もあって、桜シーズンおすすめです。
眺めは、良い。やや雑木多い。スリリングな、岩山の道あり。
岩室城は湯浅宗重が築城したとされ、古くは平安末期に屋島の戦いに敗れた平忠房が、湯浅氏を頼りこの城に籠って源氏と戦ったといわれています。室町以降は紀伊国守護である畠山氏の支城の一つとなり、秀吉の紀州侵攻に際して、畠山勢は岩室城に籠り奮戦するも落城、それに伴い岩室城も廃城になったとされています。岩室城からは有田川流域が一望でき、城の南側は断崖絶壁となっているため、まさに天然の要害といった感じです。現在、城跡は本丸周辺は木が切られ、ある程度整備されており、石碑などが建っています。城の遺構としては、数段に分けられた曲輪や巨大な堀切が確認できました。南側の断崖の上からは、海まで見渡すことができ、景色はとてもいいです。アクセスに関しては、城跡の入り口まで車で行くことができます。ただ、城跡までの道は農道のため、かなり狭くなっているのでご注意を!
| 名前 |
岩室城跡 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
3.8 |
| 住所 |
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古城跡だが、小登山で在っても、下草が無造作に伸びて居るので、ダニや其の他、虫除け対策は必須!!