怨霊なった崇徳天皇陵。
崇徳天皇 白峯陵の特徴
四国唯一の天皇陵、崇徳天皇の御陵は白峯寺内にあります。
岩壁の途中にある稚児の滝は幻の滝として知られています。
大河ドラマで注目の崇徳天皇は祟り神としても伝えられています。
香川県白峰に伝わる崇徳天皇に関する恐ろしい言い伝えは、天皇が怨霊と化し、日本を混乱させようとしたものです。特に崇徳天皇が『日本国の大魔縁となり、天下を混乱させてやる』と呪詛(じゅそ)の言葉を書き残したという説が有名です。詳細⦿怨霊伝説崇徳天皇は、保元の乱で敗れて讃岐(現在の香川県)に流され、失意の内に亡くなりました。その後、天皇の霊が怨霊となり、日本を混乱させようとしたと伝えられています。⦿呪詛の言葉天皇は自らの死後、日本を混乱させるために舌を噛み切り その血で呪いの言葉を書き残したとされています。⦿相模坊天狗白峰山には崇徳天皇の霊を守る相模坊天狗という天狗がおり、天皇の霊を慰め、白峰の霊域を守護していると伝えられています。⦿血の宮崇徳天皇の遺体を運ぶ際にひつぎ置いた石に、血がしたたり落ちたと言い伝えから、高家神社は、『血の宮』とも呼ばれています。⦿煙の宮崇徳天皇の遺体を荼毘に付した際の煙が都の方向にたなびき、それが集まって『煙の宮』と呼ばれる神社になったという伝承があります。これらの言い伝えは、崇徳天皇の悲劇的な生涯とその霊がもたらす恐ろしさを物語っています。
⚠️注意⚠️崇徳天皇の名がたくさん書かれている頓証寺殿の門をくぐってもここには辿り着けません!その門をくぐる前30メートルほど手前に左手に「玉章の木」と書かれた看板の方に石畳の道があり、そこを進むと陵墓に辿り着きます。陵墓を案内する看板がないのでほぼ隠しルートです。白峯寺から行く時は気をつけてください。
2022/7/30来訪。天皇陵とあって厳かな感じがします。崇徳天皇 白峯陵(すとくてんのう しらみねのみささぎ):白峯寺境内の玉章の木の後ろ入口から約百m、頓証寺殿の後方約20mの所にあり、第75代崇徳天皇の陵墓で陵形は方丘。拝所内の前方一対の石燈籠松平頼恭奉献、後方一対は松平頼重奉献。また拝所下段右側に源為義(花崗岩製)、左側に源為朝(凝灰岩製)の供養塔が建っている。毎年9月21日に御正宸祭(ごしょうしんさい)の儀が執り行われ、この日に限り奥の柵まで解放され鳥居をくぐり参拝することができる。ウィキペディアより。
2022.11現在近くには寄れないようだ。波乱と悲運の人生を偲び、静かに合掌した。
非業の死を遂げ、都へ帰ることを許されず、怨霊となったとまで言われしまった崇徳天皇。本を読んでからご挨拶がしたくて、青海神社にお参りした後に『西行法師の道』から山を登りました。車は青海神社の駐車場に置きました。『西行法師の道』は石灯籠や歌碑が並び歌を読みながら歩くことができます。歌でも非業、悲劇の死を遂げたことがよくわかります。1.3キロのなだらかな山道を登りますか、石段、石畳みとも、苔むしており歩いた日が雨の翌日だったため、とても滑りやすく危険な場面がありました。晴れて乾燥した日に歩きやすい滑りにくい靴で歩いてください。山にある白峯寺まで車でも行けるので、「西行法師の道』を歩かなくても行かれます。徒歩の場合は40分程度で青海神社から白峯陵まで登れるでしょう。しかし足腰に自信のない方は車で白峯寺まで行くことをオススメします。登っている間は曇りという天気だったためか重い空気に包まれているような、ちょっとだけ畏れを持ってしまうような気持ちで歩いていました。白峯陵は怨念を鎮めるためか、大変立派で綺麗でした。安らかにお眠りくださいとお参りさせていただきました。
白峯寺にある崇徳天皇の御陵。お寺からは少し歩くので,足腰に不安のある方は白峯寺内にある遥拝所に行くとよいかもしれない。怨霊を鎮めるためか,けっこう立派。
御陵に行くには西行の道や白峯寺護摩堂と頓証寺殿の途中を左側の小道が主です。杉や檜等々の大木の間を行く鳥居が有りそこが御陵です。実に幻想的な空気の流れているスポットです。
四国唯一の天皇陵。
静かな場所です。
| 名前 |
崇徳天皇 白峯陵 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 電話番号 |
072-955-1115 |
| 営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
4.5 |
| 住所 |
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保元の乱で讃岐へ配流になった崇徳天皇の陵です。「日本三大怨霊」の一人に数えられる崇徳天皇の魂を大事に鎮めているのが伝わってくる陵墓です。あの明治天皇が自らの即位の礼を執り行うに際して勅使を讃岐に遣わし、崇徳天皇の御霊を京都へ帰還させて飛鳥井家の邸宅の地に白峯神宮を創建したほどです。