桜と川が織りなす癒しの空間。
日吉切通し (意宇川)の特徴
江戸期初頭の歴史が感じられる意宇川の辺りです。
季節ごとに美しい桜が楽しめる癒しのスポットです。
夏は木陰で涼しさを感じながら休憩できます。
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車を駐車するスペースが狭いが癒しの空間。
桜と川は画になるものだ…。
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夏は木陰があり涼しく休める。
これを人がやったのかと信じられませんがすごい事だと伝わってくるところです。
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名前 |
日吉切通し (意宇川) |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.3 |
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江戸期初頭、日吉村では意宇川が度々氾濫し、多くの死者や田畑に損害を与えてました。原因は意宇川がこの日吉地区で剣山という岩山に行く手を阻まれ、剣山(剣神社が鎮座)の山裾を回る形で大きく蛇行しているためでした。村の大百姓周藤弥兵衛家正が、川がまっすぐ流れるように剣山を開削するようにと松江藩に陳情しました。名君といわれた藩主松平直正公が取り上げ、3年かけて剣山は切り抜かれ、意宇川はまっすぐ流れるようなりました。しかし、開削幅が狭かったため、その後も氾濫が発生、切通しの幅を広げるよう藩に陳情しましたが、財政難を理由に取り上げられませんでした。52年後、当時56歳になる家正の孫の弥兵衛良刹は、私財を投じて切通しを拡大することを決意して工事を開始しました。私財が底をついて人を雇う事ができなくなると、一人で鑿(のみ)を持って岩を削るなどの苦労の末、42年かけて延亨4年(1747)に切通しの拡張を完成させました。時に良刹97歳でした。家正の時代に幅14mであった切通しを、現在の幅30m高さ20mに拡張しました。