宇高連絡船の思い出、四国への懐かしい旅。
宇高連絡船の遺構の特徴
宇高連絡船の遺構は、伊予丸・讃岐丸・土佐丸・阿波丸の歴史を感じられます。
昔の事故やドラマを思い起こさせる、重要な史跡として堪能できます。
本州と四国のつながりを支えていた歴史的な場所で、見応えがあります。
何かもうちょっと解説されてたりすると良いなと思いました。
今は地面の上にあるけど、昔は大きな事故や色んなドラマがあったんだなーと思うと、もっと盛大に遺してたほうがいい気もしました。でも、この遺構からも歴史を感じることができる!
宇高連絡船の4船(伊予丸・讃岐丸・土佐丸・阿波丸)は常時3船で運行していました。3船のうち1船が宇野で停泊し翌朝8時半に高松へ出向するためのバースが「第二バース」でした。
昔の話しで申し訳ないですが、今は簡単に本州と四国の間に3ルートの連絡橋がありいとも簡単に本州から四国に渡れますが、台風、風の強い前線が通過した時等本州と四国間は連絡手段がなく、後で書きますが不通になりました。昔四国に行くには、大阪から関西汽船かあこの宇野から出ている連絡船に乗るしか便がありません。当時宇野から連絡船で高松によく渡りました。しかし連絡船の沈没事故で多数の死者が出て本州と四国の間に橋が3本必要との論議がわき起こり、まず明石海峡からと話が出てたと思いますが結局3本同時着工になったのでないかと覚えています。そして宇野、高松間は鉄道併用橋で連絡船の事故をなくする意味で早急に橋が必要だと言うことになったと覚えています❗️連絡船の事故は非常に悲惨な事故でした。これは青函連絡船にも言える事で悲惨な事故があり多数の方が亡くなっています。両方の海峡とも尊い命が亡くなった上で完成してます❗️最後に多数の人が亡くなった事にここでご冥福をお祈りします‼️
もう少し遺構を残して欲しかったです。
| 名前 |
宇高連絡船の遺構 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
4.3 |
| 住所 |
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この場所は懐かしいですね。